虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「人生の特等席」

toshi202012-11-30

原題:Trouble with the Curve
監督:ロバート・ローレンツ
脚本:ランディ・ブラウン


 一頭の馬が走り抜けるフラッシュバックが彼の頭をすり抜けていく。
 年老いたスカウトマンであるガス(クリント・イーストウッド)は、「あの日」の夢をたまに見る。親戚に預けて仕事に没頭した日々ゆえに縁遠くなってしまった1人娘・ミッキー(エイミー・アダムス)。彼女と疎遠になってしまった、きっかけになった出来事である。
 娘を置いて人生を賭けてきた大リーグチームのスカウトの仕事も、今や経験も自分の眼も持たず、パソコンのデータに頼り切った軟弱野郎が幅を利かせるようになった。2時間は新聞各紙を眼を通し、試合での選手のプレイを実際に見て選手の「資質」を見極めてきたガスには、「眼」と「耳」と「経験」に裏付けられた、プロフェッショナルとしての自負がある。だが、普段の偏った食生活も手伝って、老いは容赦なく彼を襲い、小便の出は悪い、視力は落ち、緑内障を患い始めて一部視界が欠けるようになった。眼科の医者には一度仕事を休んで検査を受けるように薦められるが、自らの「老い」を受け入れられないガスはそれを固辞して高校野球の注目選手を見に、しかも車で出かけてしまう。
 そんな彼を心配した親友のピート(ジョン・グッドマン)からの知らせを受け、今は弁護士をしている娘のミッキーが、多忙な仕事の合間を縫ってスカウトの現場にやってきて、ガスと同行し始めるのだった。


 ガスは、ミッキーが6歳の時、妻を喪っている。それ以来、妻は娶っていない。そして、ミッキーを男手一つで育てるつもりだった。
 しかし、あることがきっかけで断念した彼は、それ以降娘との溝は深まるばかりだった。娘を思う気持ちはある。しかし、そのことを表に出すことはない。しかし、彼女の見えないところで、彼は優秀な弁護士として働く彼女をひそかに誇りにしている。
 一方娘の方はと言えば、仕事は順調でつきあう男性はいるものの、真剣な交際にまでなかなか発展しない。同じ弁護士の「彼」からは本格的な交際を望まれているが、うにゃうにゃとはぐらかしている。ガスに同行するものの、一向に心を開かない父にいらだっている。

 
 しかし、ガスが発掘した選手であり、今は引退してガスとは別チームのスカウトをしているジョニー(ジャスティン・ティンバレーク)との再会や、父のスカウトの手伝いを少しずつするうちに、ミッキーは自分の心にある「枷」の理由を理解するようになる。


晩春 [DVD]

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 さて。小津安二郎監督作品の中に「晩春」という映画がある。
 父1人娘1人で同居し、30間近で婚期を逃しかけている娘・紀子(原節子)を心配した父親(笠智衆)がなんとか娘を結婚させようとする物語である。しかし、紀子は叔父の再婚を「不潔」というほど恋愛に対して潔癖で、見合い話ははぐらかす。どうしても父親と離れたくないという。父親はある日、「自分に再婚話がある」と紀子に嘘をほのめかして、見合いさせようとするのだが、紀子はショックを受け、家出までする。
 やがて、観念した紀子は見合いしてやがて結婚の運びとなるのだが、父親との京都旅行の中で揺れる気持ちを抱え、「父さんと一緒にいたい」という思いを切々と語る。だが、紀子に父親は訥々と、若い人間がこれから先の人生を作っていって欲しいと諭す。
 老いた父は娘のために、孤独になることを受け入れている。そのことに気づいた娘は、父親に謝罪し、嫁いでいくのである。
 

 「晩春」は強烈な「父親コンプレックス」が物語の中核にあり、それゆえにこじれていく物語でもある。


 一方この映画はどうかと言えば。同居はしていないし、長く離れて生活している。娘は自立してもいる。しかし、それでもなお「親子の呪縛」は存在しており、その関係は一層入り組んでもいる。
 父親が頑固一徹で娘への愛情をうまく表現できない不器用な親父で、しかもクリント・イーストウッド。娘が優秀な弁護士で、でも本当は父を深く思っていて、しかもエイミー・アダムス。互いを「意識」しないわけがない。父とすればこれほど「可愛い娘」はいないし、娘からしてみりゃこれほど「親父らしい親父」はいないわけである。少しの間でも父娘一緒だった日々を片時も忘れられないでいる。
 近づきたい。でも、近づけない。そしてなによりもそれが2人の「枷」でもある。ミッキーにしてみりゃ、親父(イーストウッド)以上の「男」でなけりゃとてもなびけない、ってなもんである。


 娘は30代である。いい加減身を固めて欲しいとも思う親心。しかし皮肉なことに、娘は父親への見えない「呪縛」に囚われている。弁護士という職を選んだのだって、父親への思いと無関係ではないのである。しかし、少しずつ少しずつ距離を縮め、互いの理解を深め合うことによって、その「呪縛」は少しずつほどけていく。自分の手元に置いておいて娘まで喪うことが怖かった父と、それでも父親と一緒にいたかった娘と。
 この映画は父親と娘が、ともに歩くことで、やがて来るであろう「本当の決別」の道へと向かう物語である。呪縛から解放されたとき、彼女は本来の自分を取り戻していき、やがて憎からず思うジョニーとも少しずつ進展していくのである。


 「イーストウッド」という巨大な「親父」へのコンプレックスから解放されて、だんだんと魅力的な自分を発見していくエイミー・アダムス。そんな娘の後ろ姿を見つめるイーストウッドは、ゆっくりと自らの「老い」を受け入れ、別の道へと歩き出す。


 「晩春」で、人生の孤独をかみしめた時、笠智衆はそっと首を垂れてうつむく。だが、孤独に歩むイーストウッドはうつむかない。決然と足取り確かに、新たな人生を歩き出すのである。イーストウッドらしい人生の秋である。(★★★)