虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ヒックとドラゴン」

toshi202010-08-10

原題: How to Train Your Dragon
監督・脚本: ディーン・デュボア、クリス・サンダース
製作: ボニー・アーノルド
製作総指揮: クリスティン・ベルソン、ティム・ジョンソン
原作: クレシッダ・コーウェル


 目の前にはいつも親父が立ちはだかっていた。大きく、強く、頼もしい。けれど。それが少年・ヒックの迷走の種でもあった。
 襲い来るドラゴンと長年戦い続けているバイキングの村のリーダー格・ストイックの息子であるヒック少年は、なんとか父に近づこうとする。村一番の猛者でドラゴン・スレイヤーとしての腕も一流、バイキングの中のバイキングである父親と同じ道を、ヒック少年も歩みたかったが、筋骨隆々の父親とはあまりに対照的なひょろっとした少年であるヒックは、肉体のハンデを補おうとオリジナルな武器を作りながら、竜退治を行いたいと思っていた。その日も、オリジナル武器を使ってドラゴンに一撃を加えた。手応えはあった。これで親父もみんなもきっと僕を見直してくれる。
 しかし、結果は無残。父親は彼の話に耳を貸さず、困惑の表情を向けて、憧れの少女はあきれたような顔で自分を見つめ、友人たちはこぞってヒックを馬鹿にする。けれど、武器は確かに命中していた。そしてそれがきっかけで、ヒックは一匹のドラゴンと邂逅する。


 監督コンビの出世作リロ&スティッチ」が公開されてすぐに僕は作品を見て、僕は一目で好きになった。あの作品は、そのアニメを好きだった自分ですら、後のディズニーキャラという枠内であれほどのブレイクスルーを果たすとは想像できないくらい、「ディズニーらしくない」破壊的アニメ映画で、なぜかと言えば、ヒロインの「リロ」は決して「いい子」とは言えないはみ出しもので顔はジャイ子みたいな顔の少女で、一方のスティッチはなんでもかんでも破壊せずにはおれない暴れん坊エイリアンである。
 異端児のはぐれ者。前作ではそんなふたつの「生き物」同士の友情に暖かい目線で描いた。このコンビが貫いているのは「はぐれ者」への目線の暖かさで、本作でもそれは健在である。


 考えてみると、ヒックは元々、決して異端児ではない。はずである。良くも悪くも平凡、父親も尊敬している。それだけの話だ。しかし、バイキングのエリートの父親から見れば決してそうではない。
 バイキングの中のバイキングの戦士の息子であるはずのヒック。そんな彼がなぜかバイキングらしくない容貌と性格であることに、一番戸惑っているのは父親であるストイックだった。なぜ、息子は・・・自分のように生きられないのか。生まれながらの純粋戦士であるストイックからみれば、ヒックは明らかな「異端児」。変わり者以外何者でもなかった。
 だから愛情も会話も空回る。父親が本来自分に望んでいたことを知っているヒックも、コンプレックスから会話がぎこちなくなる。だから、根本的なところで親子は分かり合えていなかった。

 周囲のエリートの息子であるやっかみと、それに不釣り合いな肉体ゆえにバカにされ、それがヒックを卑屈にさせる。だが、彼には父親にはない、他の生物への「優しさ」があった。だから、「竜退治」訓練は彼はいつもびりっけつであった。
 しかし、彼が「優しさ」ゆれに交流することになる一匹の竜と友情を深め、彼が竜への理解が深まれば深まるほど、「竜退治」訓練の成績は上がっていく皮肉。異生物との深まるコミュニケーションと反比例するかのように、ニンゲンとはますますディスコミュニケーションが深まるヒック。「殺したくない」という思いが深まりドラゴンの生態を理解すればするほど、ヒックの村での立場は「竜を殺す」立場へと変わっていく。そして、父親は誤解したまま、彼を誇りに思うと褒め称え、ヒックはそんな父親に本心を打ち明けられない。
 頑張ってももがいても、埋まらない親子の断絶。そのことが物語を混沌とさせていく。


 息子への失望を抱えながら、憎しみの連鎖の中で「竜の巣」での最終決戦に向かう父親と、彼らのセカイにとっての「怨敵」である「竜とのふれ合い」の日々から獲得した全てを賭けて、父親の元へ向かう息子。彼らは戦場でようやくお互いを理解しあうが、それゆえの代償もヒックは受けることになる。
 その代償とともに、ヒックは望む者を手に入れる。この変わり者であること、社会にとっての「異物」であることは決して否定されるべきではない。そんな「はぐれ者」たちへの賛歌が高らかに響く傑作である。(★★★★★)