虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ちょんまげぷりん」

toshi202010-08-18

監督・脚本: 中村義洋
原作: 荒木源



 「ガチャピン」が数々のスポーツに挑む「ガチャピンチャレンジ」という企画を考えた人は天才だと思う。
 なぜあの企画はあんな面白いのだろうなあ。たまにガチャピンがムックと一緒にテレビに出ると、思い出したように「ガチャピンチャレンジ」の映像がセットになって流れてくるけれど、やっぱり、なんかにやけてみてしまう。「ガチャピンがロッククライミング」「ガチャピンジェットスキー」。バイク、流鏑馬、空手、スキューバなど、ガチャピンが次々と、様々なスポーツをこなしていく映像。あの、画が出来た時点でもう、なんか、すごいよな、と思う。


 では、何故ガチャピンが空手やスキューバやロッククライミングをするだけで面白いのか。それはつまり、「ガチャピンは決してそんなことが出来るはずがない」という我々の思い込みを、「画」でこなごなに打ち砕くからではないか。そして思う。「んなアホな」と。出来るはずがない(なぜならヤツは着ぐるみだから!)というのは我々のガチャピンへの偏見である。ガチャピンは身をもってそれを超えてみせる。中の人がどうとかは関係ない。ガチャピンが我々の想像を遙かに超えたガチャピンとして「ありえない画」として存在してみせること、そのことが面白さなのである。


 ありえないという思い込み。しかし、実際そこに確かにある!という「画」。この映画もまた、それを信じている映画と言える。


 遊佐ひろ子は、女手ひとつで息子を育てるシングルマザーである。起きる前にマイペースな息子が目覚ましを止め、出かける寸前にうんこをしたいと言いだし、会社にも幼稚園の遠足にも遅刻寸前、走らないと間に合わない!というところで、息子がスーパーの前で立ち止まる。息子のそばに駆け寄って何故止まったのか訪ねると、息子が指さす。その先には。


 「侍」が立っていた。ただ、立っていた。


 もうね。この画がまずいい。日常風景の中に、ふいに直立不動で立つ「侍」。スーパーマーケットの前で所在なげに立ち尽くす「侍」。これでもうちょっと面白いのだけど、それでも日常は止まらない。
 ドラマの撮影だろう、ということでひろ子はその場を離れる。幼稚園にはギリギリ、会社には遅刻、上司にも部下にも嫌みを言われながら定時に退社し、アパートまで戻ると息子がかくれんぼし出す。それに付き合って息子を見つけ、近づくひろ子の横の、駐輪場のついたての向こう側をちょんまげが横切っていく。
 ひろ子が驚いてついたての裏に回ると、そこに抜刀しようと構える「侍」がいる。


 いるはずのない現代の日常風景に入り込み、やがて彼女たちの部屋に上がり込んで、きれいな所作で侍が正座している。


 物語の傍観者たる観客は、薄々感づいている。なぜ日常風景の中に侍がいるのか。しかし、侍も、シングルマザーの親子も、事態を「はい、そうですか」と簡単に受け入れられるわけもなく、少しずつ手探りで「侍」が、「直参旗本」の武士であること、「侍」がいる時代が、己のいた場所と同じでありながら、時代は遠く違うことを少しずつ理解し合っていく。「男は外で働き、女は家を守る」ことが当たり前だった時代は終わり、今居る時代は「男も女も共に働くことが当たり前で、家の事は互いに助け合う」の時代であるらしいこと。
 侍・木島安兵衛は悟る。自分はなにか得体の知れないチカラで、自分が居た時代から180年も後の時代へ飛ばされたこと。その時代は、もはや自分の「常識」とは違う「常識」がまかり通っていること。


 そして自分が元の時代には、やすやすとは戻れないということ。


 彼は「現代」という「未知の時代」に住まねばならぬ、と悟った時、彼は郷に入りては郷に従う、の精神で、時代に入りては時代に従った。「侍」が「外で働く女性」の代わりに「家事全般を行う」ことにしたのである。
 侍とは言え、彼は25歳の青年であり、器用に立ち回る頭の良さと才覚があった。彼は「冷蔵庫」の整理整頓、炊飯器や洗濯機のタイマー機能もさっさと覚えて活用し、スーパーマーケットでの食料調達も見事にこなしてみせるのである。


 この絵づらがまたいい。江戸時代からやってきた侍が、器用に現代の家電を、あっさり使いこなし、見事に活用している姿は見ていて「鋭い」と思った。凡百の映画はつい、「現代の家電にカルチャーショックを受ける姿」を長々と入れるところだろうが、考えてみると、侍だからと言って誰も彼もが頭が固いわけでも、ぶっきちょなわけでもない。機能さえ理解すればさっさと「活用」してしまう侍がいたっていいはずである。


 やがて安兵衛は、ひろ子の息子が風邪で臥せった際、滋養をつけてもらおうと、現代にやってきた時食べて大変美味だった「ぷりん」を自分の手で作り、大変喜ばれたことがきっかけで、「スイーツ」づくりに精を出し始める。
 イチゴショート、モンブラン、ガトーショコラ、などを独学で学び、クリスマスパーティでひろ子の主婦友も絶賛され、コンテストに出場するまでに至る。そのあまりの手際の良さに思わず見ているこっちが「んなアホな!」と思ってしまうのだが、それこそがこの映画の面白さの肝なのである。


 やがてコンテストで注目を浴び、パティシエとして忙しくなる「侍」と、元の生活に戻りつつある遊佐母子との間に、まるでかつての「夫婦生活」の失敗をリフレインするかのようなすれ違いが生じてくるのだが・・・。


 三十路のシングルマザーに訪れた「ちょっと甘酸っぱいファンタジー」としてくるみつつも、現代世界の日常に侍がなじんでいくことを「画」で押し通す面白さを交えながら、互いにすれ違いながらも時代を超えて本当に大切なものを侍と母子が気付いていくドラマとしても、申し分ない、「すこしふしぎ」なパティシエ侍噺でありました。(★★★★)