虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道」

toshi202010-08-07

脚本・監督:高畑勲
原作:ルーシー・モード・モンゴメリ
脚本:千葉茂樹/磯村愛子/神山征二郎
場面設定・画面構成:宮崎 駿
キャラクターデザイン・作画監督近藤喜文



 冒頭、偏屈で女性にトラウマがあるっぽい爺さん・マシュウ・カスバートと、そんな変人爺さんである兄を陰日なたに支える妹・マリラ・カスバートが、年老いたマシュウが将来的に働き手になるような男の子を孤児院から養子を迎えることになり、マシュウは駅へと男の子を迎えに行く。しかし駅に着いてみれば、駅のホームには赤毛のちいさな少女が座っているだけで、男の子がいない。駅長に聞くと、養子の件を頼んだスペンサー夫人は、男の子ではなく、ホームにいる赤毛の女の子を下ろしたという。どうやらことづての段階で手違いがあったようである。
 こうして、マシュウ・カスバートは、どういう神のいたずらか、アン・シャーリーという少女と出会うことになった。


すごい。まずはすごい。


 テレビ版未見、原作未読でありますが、だからこそ驚いた。すごい。
 ぶっちゃけて言えばテレビアニメ「赤毛のアン」の1話から6話までを映画用に再編集した作品である。シネマアンジェリカのスクリーンがすーっと「スタンダードサイズ」になり、映し出されるのはテレビアニメが映画スクリーンに拡大されているに過ぎないとも言える。
 しかし。これが少しも巨大スクリーンに負けぬ、圧倒的な「映画」足りえている。この事実。


 この映画が映画足りえている理由は序盤からすでにある。マシュウ・カスバートとアン・シャーリーが出会い、マシュウが住むグリーンゲブルズへ向かう道すがら、アンはマシュウに一方的に話し続けている。
 アンは自分が思っていること、感じていること、空想したこと、創造したことを次々とマシュウに話して聞かせる。彼女は親の愛を知らぬ、孤独な身の上を過ごしていたが、想像力だけは人一倍であり、彼女が想像の翼を広げるとき、そこには一種の魔力が備わる。彼女にとって想像することは、生きる証に他ならない切実さを帯びている。彼女の一種特異とも言える感受性は、大人がまじめに聞くにはおおげさに過ぎる感じがする。しかし、マシュウじいさんは、彼女の想像力が、自分が長年見てきた、なんてことはない風景に新たな息吹を吹き込む切り口を見せてくれることで、いつの間にか楽しみながら聞くようになる。
 彼女は両親を失ってから、子守をする労働力としてこき使われ、たらい回された挙句、孤児院へと引き取られている。親の愛情もろくに知らぬ彼女にとって、「家族」を持つ可能性を持つことは、まさに幸せの絶頂であり、そしてなおかつ、自分の「想像」しながらみる「世界」を面白がって聞いてくれる「大人」に、おそらく初めて出会ったことで、彼女の想像力はいよいよヒートアップしていく。その予測不能なイマジネーションと、速射砲のようなアンのつむぐ「言葉」たち、ささいなことに感情を露にする彼女の一挙手一投足がとにかくおかしくて、ぼくはくすくす笑いが止まらない。
 彼女は、自分の感受性にひっかかったすべての「思い」を表現せずにはおれないのであり、そしてその思いをだれかと共有したがっている。そして、彼女は見つけた。共有してくれる対象を。それはまさに夢のようでなできごとであった。


 「思い」、「想像」して、「感じて」、それを「言葉」として誠実につむぐこと。それがアン・シャーリーの持つ、「魔法」なのであった。そして、その「魔法」に、マシュウじいさんも、観客もまたかけられているのである。


 しかし、グリーンゲーブルズに着いてみて、自分が手違いで連れてこられたという事実が突きつけられ、アン・シャーリーは打ちのめされる。手違いであったのなら、孤児院に連れ戻されるからである。
 アンは泣き崩れながらもみずからの「絶望」のありかを、マリラに言葉で説明してみせる。そんな変な芸当を見せる少女に、思わず苦笑いを浮かべてしまうマリル。現実主義者の彼女も、さっき絶望だ悲劇だと泣いていた娘が、自分のことを本名じゃなくて「コーデリアと呼べ」などと突拍子もないことを平気でのたまうアンに対して多少の同情心は感じたものの、彼らが必要とする「労働力」足り得ないアンを、引き取るわけにはいかない。アンは、翌日孤児院へと引き取る相談をしに、手違いの元であるスペンサー夫人の下へと向かうことになる。
 しかし、そのマリラもまた、アン・シャーリーの「魔法」にかかっていたのである。
 カスバート兄妹は、人生の終わりに、「労働力」としての「子供」を手に入れる、という、現実的な選択をしたはずであった。しかし、何かの手違いで来たその娘は、老いた兄妹の人生を高らかに肯定してみせたのだった。「あなたたち」の人生が、あなたたちの存在が、そしてあなたたちを取り巻く、平凡にも見える世界そのものが、私・アン・シャーリーには必要なのです、と。


 サブタイトルの「グリーンゲーブルズへの道」すがら、マシュウじいさんにかけたアン・シャーリーの魔法が、やがて彼女の望む結果をもたらしていくまでを、マリラの心の変遷も含めて丁寧に描くことで、物語に圧倒的なカタルシスをもたらす構成もすばらしく、一本の映画として、実に見ごたえのある「アニメーション映画」になっている。今なら、木戸銭は1000円*1で、この傑作を映画館で見られるので、機会があればぜひ。(★★★★★)


(追記)
 鑑賞後、私が速攻でテレビ版をボックス買いしたのは言うまでもない・・・。

赤毛のアン DVDメモリアルボックス (再プレス)

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*1:注:渋谷ツタヤほかチケットショップで前売り券を買うといつでも1000円なのです!