「ラスト、コーション」
原題:色,戒
監督:アン・リー
脚本:ジェームズ・シェイマス、ワン・フィリン
「あなたと逢ったその日から恋の奴隷になりました。」
「恋」の話である。
1942年、彼女はある男の家にいた。そこの夫人が開く麻雀の卓を、よく一緒に囲んでいたのだ。夫人の信頼を勝ち得、その男の信頼も勝ち得ていた。彼女はカフェから電話をする。その「組織」に。それは男を暗殺するために待機していたのだ。
彼女は思い出す。4年前。彼女がこの組織に関わることになるきっかけを。それはひとりの若き情熱的な学生演出家との出会いだった。
見ている間は、実はよくわかってなかった。この娘の「考え」が。なんでそこまでする必要があるのか。政治的に高い理想があるわけでもなく、学生時代に犯した悲しい過ちを再び繰り返そうというのか。どうにもこう、俺の方でも彼女への共感ができずにぼんやりと見ていた(濡れ場除く)んだけど。この映画のキーワードは「演ずる喜び」こと、そして「恋するおかしみ」だ。
これに気づいたのは、文頭のフレーズから始まる奥村チヨの「恋の奴隷」*1を、たまたま聞いていた時である。そうか、これか。と思った。彼女の活動にのめり込む一旦は、演ずる悦びを知ったこと、そしてそのことで一人の男に喜んでもらうことだったのだ。
「あなたの膝にからみつく/小犬のように/だからいつもそばにおいてね/邪魔しないから/悪い時はどうぞぶってね/あなた好みのあなた好みの/女になりたい」
彼女の目的はあくまでも初恋の相手である「彼」にある。そのために、彼女は暗殺目標の男に「恋している」演技をしていく。バレれば「死」、いやそれ以上の苦痛が待っているかもわからぬ中に、彼女は千人近い客を昂揚させた演技力をもって、一人の男への「恋の奴隷」であることを極限のプレッシャーの中「演じる」。その緊張感。
彼女は男の前で「女」を演じる。すべては男を殺すために。「演じること」が「彼」の望むこと。「あなた好みの女」になるために、彼女は引き返せぬ「けもの道」を突き進んでいく。
演じるプレッシャーの中で、彼女は最高に研ぎ澄まされ、やがて男は彼女を信じ、彼女にのめり込んでいく。だが、そこに不思議な共有感が生まれ出すのは、この映画においてたったひとつの「リアル」として提示される「セックス」である。その中にだけ彼女が、偽らずにいられる余地が生まれてくる。演じている意識は徐々に希薄になる。彼がぶつけてくる「直接的な愛情」に、本当の恋愛が成就したことのない女の心に「偽らざる慕情」が生まれ始める。ふたりの癒されぬ孤独、満たされぬ心が、やがてセックスの快楽というリアルに溶け始める。
そして、その偽りの「恋」がホンモノの「恋」に取って代わる時、彼女は真の破滅へと向かう。
彼女のすべての始まりは「恋」であり、すべての終わりも「恋」である。
「あなただけに言われたいの/可愛い奴と/好きなように私をかえて/あなた好みのあなた好みの/女になりたい」
そこに彼女の悦びも悲しみもあったのか。「恋の奴隷」を聞いたとき、すこし彼女の気持ちがわかった気がした。俺にはない感覚だが、恋にしか生きられない女の、悲しき「生」をこの映画は見せつけていたのだな、と思ったのであります。(★★★)