虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

最近見た老人監督映画あれこれ。

  映画監督は50代を過ぎる否応なく老いと死について考えざるを得なくなる。そう言ったのは押井守であったろうか。
 基本的に言えば、題材の中に死と生をどう対比させるかということについて、考えざるを得なくなるということらしい。基本的に言えば、同年代の人の死に対面する頻度が高まっていくのが50代以降ということであろうし、人生50年という言葉もあるとおり、昔はその辺が日本人の寿命でもあったわけである。
 そもそもとしては死や老いは望むと望まないに関わらず距離を縮めてくる。その時に長い年月を経て作品を作り続ける「老人」監督というのは、もはや「死や老い」というものとどう向き合ってるのか。最近観た映画の中から振り返る試み。
 60歳、84歳、101歳。撮影した監督の年代別に見ていきます。

「岸辺の旅」

監督:黒沢清

岸辺の旅 (文春文庫)

岸辺の旅 (文春文庫)


 驚くべき事に黒沢清監督は去年、すでに還暦を迎えられている。


 夫が失踪した3年後に妻の元に帰ってきた。だが、夫は「俺、死んだよ。」という。二人は最後の旅に出る。

 その監督の撮った新作というのが、「生者と死者がともにふれ合える」世界という独特なもので。つまり、もはや生者と死者がボーダレスに会話したり、出来るし、他の人にも死者が「実在する人」として見えているという発想、そしてあまつさえ、恋愛や同衾までしてしまうという。「ゴースト」という映画があったけれど、さらにその一歩先にある、「幽霊むしろ普通に生活させるラブストーリーとして成立させようと試みる。
 「幽霊」を「怪異」として描いてきた黒沢清監督が、「怪異」と恋愛しポジティブな未来へとヒロインが向かうまでを描くという、かなりアグレッシブな映画になっていると思うのです。死者は「生者」の記憶の中で「いつまでも生き続ける」という、その発想をさらに「逆転」させて「むしろ死者も生者として扱っちゃえ」というところまで突き抜けるという、そんな物語に惹かれるのもまた、「老人」初心者である「黒沢清」監督の「転機」とも言える映画であると思います。

「母と暮せば」

監督:山田洋次

 長崎に落ちた原子爆弾に焼かれて死んだ一人息子。彼が生きてると信じて奔走しながら、彼の死を受け入れざるを得なくなった母親の前に、死んだはずの息子が戻ってくる。

父と暮せば 通常版 [DVD]

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 広島の原爆で亡くなった父親が娘の元に現れる井上ひさしの戯曲「父と暮せば」を叩き台にして、山田洋次監督が長崎を舞台にした「母と息子」の物語へと変えているのだが、物語の方向性は真逆と言っていい。「父と暮せば」はあくまでも「愛する娘の恋心に気づいた父親が彼女の為に現れる」というのが基本シチュエーションであり、自分だけが生き残ってしまった罪悪感から「自分は幸せになってはいけない」と思い込んでしまった娘に前に進めと言う父親の話だった。つまり元の原作は、生きてる「子」のために死んだ「親」が出てくる物語。
 ところが本作の場合は生きてる「親」のために死んだ「子」が現れる。それはなぜなのか。その結末はまさに前向きなそれではなく、原爆が投下された人の「失われた生」がまるで怨念のように張り付いた、重苦しい映画となった。元の戯曲の「娘」に相当するのは「息子の婚約者」であるのだが、では、母親はなぜ「息子」に出会うのか。それが判明した瞬間の、「ああ・・・」というため息。そして、スタッフロールが現れた瞬間の「ぞわぞわっ」となる演出。正月3日に見に行って、あっという間に正月気分が抜けました。
 原子爆弾がもたらした「生」の喪失に対する直截な怒りの表明。「死」は「生」と表裏であるという、ある種の悟りが為せる、現在84歳の山田洋次フィルモグラフィーの中で屈指の問題作と言えると思います。


「アンジェリカの微笑み」

監督:マノエル・デ・オリベイラ

 現役最高齢監督として106歳で亡くなるまで精力的に映画を撮り続けたオリベイラ監督101歳の時の作品。人間ここまでくると「死」は「生」よりも甘美な「ロマンス」であるらしく。
 写真を趣味とする青年が、ある日街の有力者の屋敷で撮影を依頼される。それは若くして死んだ娘の撮影であった。美しく眠るように横たわる娘・アンジェリカ。青年がファインダーで彼女を覗く。すると死んだはずの彼女が、青年に美しく微笑みかけた。青年はそれ以降、その微笑みの虜となっていく。
 死んだ娘に心を奪われた青年。その思いに応えるように、幻影になって現れる娘。いわゆる死者と生者の恋という意味では「牡丹灯籠」的な怪異譚なのだが、しかしそれが決して怪談というよりも、本当にロマンチックに撮り上げているところが、この映画のすさまじいところ。この映画が迎える結末は、バッドエンドのような流れであるにも関わらず、その実ハッピーエンドにしか見えないという恐ろしいものであった。
 100歳も間近になると、「生」などというものはもはや退屈であり、「死」こそがロマンスとしてのリアルになるという、この境地。僕らはその境地に至れるのだろうか。老いとは、未だ未知な領域だな、と本作を見て思った次第。老いって深い。