虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「フレンチアルプスで起きたこと」

toshi202015-07-04

原題:Turist
監督:リューベン・オストルンド



 絵に描いたような仲良し家族がいる。平凡というにはちょっとハイクラス。だけど金持ちというわけでもないスウェーデン一家。仕事一筋の夫はいつもの罪滅ぼしにと、休暇に家族サービスだよーし父さん頑張っちゃうぞ−!とフランスの高級リゾートへスキーしにレッツゴー!という家族の5日間の物語。



 きっかけとしてはバカンス2日目。たっぷりとスキーを楽しみ、絶景のテラスレストランで昼食をとっている最中、いきなり爆発音が鳴り響き、彼らの目の前の斜面で雪崩が発生する。それはスキー場の安全確保のため、定期的に行う人工的に起こした雪崩であった。その雪崩が一気にテラスめがけて突っ込んでくる。どよどよっとざわめく観光客たち。子供は恐れをなして絶叫。やがて雪煙が近づく中、あまりの恐怖に父親は雪煙にまぎれて逃げ出した。
 結局雪崩は大事にならなかったのだが、母親は子供たちをかばいながら、父親の行動の一部始終をしっかり見ていてた。混乱にまぎれて何食わぬ顔で戻ってきた父親は、「俺は逃げてないよ」という体を取り繕うのだった。
 そこから、家族には少しずつ不協和音が流れ始める。



 人間の本能ってのは不思議なもんで、さまざまな心の防衛本能を持っている。怖いものに出会ったらさっさと逃げるってのは本来あるべき人間の本質でアリ、生き延びるためには必要な事である。
 御嶽山噴火の時にビデオカメラで撮っていた方が結果、亡くなってしまうという悲劇もあるように、異変があれば逃げるというのは、本来あるべき本能で、それがなくなるのはそれはそれで死を引き寄せてしまうこともあるので、怖い事である。しかし、その本能に基づいて「父親が家族を置いて逃げてしまう」結果になってしまったことがこの映画のサスペンスへの引き金となっている。


 天才・いしいひさいちであったなら4コマでケリをつけそうな話であるし、普通の感性ならばコメディとして撮りそうなところであるが、凡夫の滑稽さを浮かび上がらせつつも、この映画がねっちょりと描き出すのは、「根源的な恐怖から一時的にせよ、父親の『役割』から逃げ出した男」が「父親」であり続けるために、精神を防衛するために記憶すら「嘘」で改ざんする人間の本質と、4泊5日の旅行中に、ひとつの不信の種が家族がゆっくりときしみを立てて溝が生んでいくサスペンスをこれでもかと描き出す。
 表面上は家族の役割を演じていても、心の底では少しずつ相手への信頼が揺らいでいく。そして何が起こるか一切わからない不安感が常につきまとう。その不安のあおり方が絶妙で、家族の一挙手一投足に目が釘付けになってしまう。「仲良し家族」というロールプレイから少しずつそれぞれが揺れて、時折逸脱していく姿。その揺れが、観客を刺激する不安感の根源なのかもしれない。そして、ついに父親が家族にさらけ出す、あまりにも情けない姿。しかし、それこそが「凡夫」たる彼の「父親」としての見栄と虚飾が剥ぎ取られた、真実の姿でもある。


 そして旅行の最後の最後に家族を待ち受ける、送迎バスの一幕もまた、人間の「生存本能」に訴えかけるシチュエーションで、決して気が抜けない。「生存本能」はなければならぬ。だが、その生存本能は「誰」のためか。英雄ならざる僕たちは、心構えをしておかねばならぬのかもしれない。僕を含めた凡夫である男たちにとって「他山の石」とすべき映画である。大好き。(★★★★☆)