虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」

toshi202015-07-06

原題:Avengers: Age of Ultron
監督・脚本:ジョス・ウェドン


 主役級のマーベルコミックスのヒーロー達が集結して大暴れする映画第2弾。



 大きな流れとしては「アベンジャーズ結成(無印)→対立・離散→再結集で最終決戦(次回作)」という流れの中の「対立・離散」に該当する話で、ああそうなのか、と思いながら見ていたわけですが。そういうわけで非常に忙しい映画である、というのがまず率直な感想でね。シンプルな物語で大きなうねりをもたらした、エポックメーキングな前作と比べると、次回作やらへの布石を丹念に打っていくことに腐心している脚本という感じで、アベンジャーズはトニー・スタークが生み出そうとした「完全自律型米軍」としてのアイアンマン軍団の中枢としてロキの杖にあった石の中にあったプログラムを元にした人工知能「ウルトロン」を生み出した結果、それが暴走して大迷惑!という話になる。


 で、ボクはアメコミにそれほど詳しくないし、とりあえず新キャラも多数登場する中で、彼らがそれぞれ手前勝手にうごめく姿が楽しいなあ、と思いながら見ていたので、うすぼんやりとしか見ていないのだけれど。そういう物語としてはすごく良く出来ていて、その点に関しては非常にゆったりと見ていられたのだけど。
 でまあ、多くのヒーローが登場し、それぞれのドラマが何重にも詰め込まれているのですべてに言及する事はしない。感想がとっちらかるし。気になったところをいくつか話することにする。


 前作「アベンジャーズ」で神と宇宙種族が手を組んで地球侵略を企む軍団が攻めてきたわけだけど。
 「アイアンマン3」でも顕著だったけど、亀裂の直接の原因となるのはトニー・スタークが前作で受けたトラウマがその端緒にあるというのは面白いことで、アイアンマンという存在はある意味、「アベンジャーズ」という愚連隊の特異点にあたるのだなあ、ということ。トニーはアイアンマンスーツという外殻を背負った一人間であるという事なのだと思う。そういう意味ではアイアンマンにはすごく共感するところがある。
 そもそも論として、トニー・スタークの「英雄稼業」というものは道楽の延長線上だったわけであるが、「アベンジャーズ」を通して出会った敵の存在は、トニーの理解の範疇を遙かに超えている。そのトラウマを彼は冒頭で増幅させられている。
 そこからアイアンマンは言わば「米軍ひとり」とも言うべき発想から生み出された英雄なわけだけど、その発想をさらに発展させた「全自動PKO」とも言うべき発想になるあたりが、トニー・スタークであるわけだが。


 そして、トニー・スタークの過去が、敵側の超人のトラウマである、という事が新たなるアベンジャーズの流れを運んでくる、というのも面白いところでね。過去には様々な人を傷つけた過去を抱えながら、今があるというトニー・スタークの人生が、アベンジャーズの根幹をゆるがせる、という物語構造はすごくいいと思う。



 そのアイアンマンと明確に対立するのが「アベンジャーズのリーダー」キャプテンアメリカである。
 今回、敵側の双子の能力者の1人、スカーレット・ウィッチの能力によって、アイアンマン、キャプテンアメリカ、ブラック・ウィドウ、ソーらは過去のトラウマ攻撃を受けることになるのだが、その中で1人、ヒーローとして戦う意思を挫かれなかったのがキャプテンアメリカである。アイアンマンからすればそんなキャップの、ある種の「非人間性」が信じられない。トラウマを抱えながらそれをおくびにも出さずに生きてきたトニー・スタークからすれば、トラウマと向き合わされるのは恐怖でしか無い。キャップの迷いのなさこそが、アイアンマンのキャップへの明確な「違和感」となって発露する。
 一方の「歪みなきナチュラルボーン・ヒーロー」キャプテンアメリカからすれば、トニー・スタークの迷走は信じがたい話なのだと思う。ヒーローとしての「あり方」がまるで違う2人が、アベンジャーズの中の強力な求心力であることが、後々の「キャプテン・アメリカ/シビルウォー」や次回作に関わってくるんだな、と思うとやっぱりワクワクする部分ではある。
 ま、この2人の対立を押さえつつ、ハルクとブラックウィドウの淡いロマンスやら、ホークアイの家族周りのドラマと絡めた非常に躍動感あふれるアクションのつるべ打ち、新たなキャラクターたちの躍動を楽しめばいいのかな、と。


 ただ。
 娯楽映画としての強靱さはさすがの一言なのだが、次回作への布石が多いがゆえに、シリーズの持ち味であるはずのお祭り映画としてのシンプルな華々しさからは前作から多少後退してしまたのはこの映画の数少ない弱点であり、アメコミファン及びMCUマーベル・シネマティック・ユニバース)ファンは大喜びの話であるのだが、一般人が丸腰で飛び込みで見て十全に楽しめるのかと言われるとムズカシイところ。お祭り感と続編ありきの布石を丹念に敷く脚本を同居させる、そのギリギリのバランスで娯楽映画として成立させてみせたところは見事な職人芸であることは認めつつ、やはりドラマとしてのシンプルな爆発力は前作には及ばないところも出てくるのは、仕方の無いところなのかなと。


 そういう意味ではあくまでも本作は次回作へのつなぎとしての意味合いが強く、その中で力強く未来へとバトンを渡すための仕込みの作品として「重要」であるというところなのかな。その中でどうキャラクターのドラマを力強く描きつつ、お祭り映画として成立するか。それを必死に格闘しなんとか成し遂げて見せたという意味において、この映画はすげえなあ、と思うし、今のアメコミ映画というジャンルの勢いを感じざるを得ない。
 大好き。だけど、一応の最終決戦であろう次回作では、一見さんであろうとも十全に楽しめる、よりシンプルな「解放」を呼ぶ物語へと回帰する事を期待してやまない。(★★★★☆)