虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「偽りなき者」

toshi202013-04-08

原題:Jagten
監督:トマス・ヴィンターベア
脚本:トマス・ヴィンターベア/トビアス・リンホルム

 
 この物語はミステリーではない。大迫力のアクションもない。殺人も陰謀もない。
 だが、無垢の終わりを告げた女の子の、何気ない「嘘」から始まるこの物語は、1人の男が見る、何気ない日常があまりにも酷薄な地獄へと変わる風景と、壮絶な戦いのドラマを描き出す。


 この物語が始まるきっかけは、デンマークの小さな町に住むある女の子が、ひとりの男性に「好意」を持ったことだった。


 その男・ルーカス(マッツ・ミケルセン)は女の子の父親の親友で、彼女が通う幼稚園の保父をやっている。とても彼女に優しく接してくれるその男は、元教師で、かつては結婚していたが、離婚して、妻子と離れてくらしている。妻との仲は冷えているが、最近になってようやく、息子と暮らしてもいい、という妻からの許可を得て、彼はとても喜んでいる。
 女の子は、その男の詳しい素性はあまり知らないが、彼女はその男と、彼の飼っている犬・ファニーが好きだった。彼女は両親がケンカしたり、兄がいたずらをしたりすると、家から外へと出て、地面を見ながらとぼとぼ歩く間に、知らない場所へと着いていたりする。その日はスーパーマーケットへと出たら、彼がいた。送ってもらいながら、犬の散歩をする。とても楽しい。
 そして、あくる日。彼女は朝から両親のケンカから逃れて庭にたたずんでいると、彼がやってくる。彼は両親に言って、幼稚園に送ってくれた。とてもやさしい、大人の人。


 好きな人には何をする?私が好きだと伝えるには?


 彼女は自作の封筒にハートのアクセサリーを入れて、幼稚園の子供たちと戯れて倒れている彼のそばに、その封筒を置く。そして、両親が普段やっているように、彼の唇に自分の唇を押し当てた。「好き」だから。「好き」だから。
 だけど。男は言う。『もう唇に「キス」をしてはいけない』と。なんで?私はあなたを「好き」なのに。「好き」な人にしたいことをしてはいけないと言うなんて。「嫌い」「嫌い」「嫌い」。ルーカスなんて「嫌い」。
 兄がいたずらでiPadに映った「おちんちん」の写真を見せた時に、感じた、「嫌」という気持ち。その気持ちに似たものが、じわりと彼女の胸に広がっていく。そして、その気持ちのすべてをルーカスに重ね合わせていた。「おとこのひと」なんてみんな「嫌い」。


 夕方。園長に話しかけられた女の子はその言葉を口に出す。「ルーカスが嫌い」と。そして。続く彼女の言葉が、1人の男の人生を揺るがす、大きな波紋への、ほんの小さな一滴のしずくとなる。


 子供は無垢で純粋で、無邪気で弱い。だから決して「嘘はつかない」。それは大人の思い込みにすぎない。弱いからこそ気まぐれに「嘘」をつくことがある。
 彼女がほんの気まぐれに、つたない言葉で語った、頭の中のあらゆる情報が入り交じった「本当とは違うこと」は大人の脳の中で、ある一つの行為へと結びつけられていく。「幼児への性的いたずら」。
 ルーカスは寛容で皆から好かれ、そして優しい男。バツイチで教職を失うなどの不運もあるが、保父として幼稚園の子供たちからも絶大な人気があるし、親も同僚の保母さんたちも、彼を信頼している。こじれていた家庭問題もようやく好転の兆しも見えて、新たに恋人も出来た。その矢先に、身に覚えのない最悪の「疑惑」が浮上する。彼はやってないことであるから、調べればわかると一時、仕事を休むことに同意する。だが。


 その「疑惑」は本人の預かり知らぬ場所で、「真実」と見なされ、園長の判断によって保護者たちに伝えられ、その話は町中に知れ渡っていく。本人が身に覚えのない「疑惑」が「真実」として流布されていると知った頃には、もはや手の付けられない事態へと発展していた。しかも、「疑惑」を「告発」した相手が親友の娘だと知って愕然とし、疑いを晴らそうと親友の家へ行って説得するも、彼を娘を「性的いたずら」の加害者と聞いた親友は、彼を「最悪の裏切り者」としか見れない。
 「疑惑」は警察の手へと委ねられるが、そうしている間にも彼への「憎悪」が町中に広がっていく。


 このあまりにも理不尽で孤独で、最悪の状況で、彼は自分の尊厳をかけた戦いを余儀なくされていく。


 トマス・ヴィンターベア監督はこのあまりにも理不尽な物語を、適切に観客に情報を開示しながら、真摯に描いていく。なぜ少女はそんなことを言ったのか。そして、その言葉をなぜ大人たちは「真実」と思ってしまったのか。その過程を、余すところなく描きながら、やがて1人の男が見る、静かに、そして激しく燃え広がる地獄の光景を描き出す。
 この映画に「絶対的な悪人」は出てこない。皆、素朴で陽気で、明るい。そして、家族を愛する人々である。しかし、そんな人々だからこそ、この映画は決して観客に「遠い国の物語」とは思わせない、力がある。僕らは決してこの「地獄」と無関係ではいられない。だから、見ている者の心を激しく揺さぶる。


 そして、極限まで追い詰められたルーカスが起こす、ある決断。


 人は自分の尊厳と信頼を激しく傷つけられて、それでも立ち上がることが出来るのか。自分の「偽りなき者」としての「誇り」を持続できるのか。マッツ・ミケルセン演じるルーカスの、その悲壮な戦いの行方を見届けて欲しい。
 是非、映画館で見て欲しい、真摯なる「ニンゲン」のドラマである。傑作。(★★★★★)