虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「アフタースクール」

toshi202008-05-25

監督・脚本: 内田けんじ





 さて。何を話してもネタバレになりそうな。という映画なので書き出しだけ出して、あとは隠してみる。以下未見者は注意。








 堺雅人のための映画である。




 堺雅人を初めて役者として意識したのは2001年公開の「ココニイルコト」という映画。その頃から気になる俳優であった。彼にひっかかりを覚えたのは、彼の笑顔の質である。彼の笑顔は非常に完成度が高い。笑顔らしい笑顔だ。しかし、完成度が高すぎて妙に作り物めいてもいる。彼は確かに笑っているが、しかし、あまりにも笑顔らしい笑顔すぎて、何を考えているのかイマイチ読めない。
 彼が笑顔でいるとき。そこには何か裏があるようにも見え、だが同時に実はなにもない、とも読める笑顔である。


 木村というエリートサラリーマン役に彼を抜擢した内田けんじの眼力はさすがである。大泉洋佐々木蔵之介の代役はいくらでも考えつくが、この映画は、堺雅人なしには成立しえない。それほどのハマリ役である。彼の完成度の高い笑顔は、光の当て方次第で、幾重にも変化する。彼には「なにか秘密」がある。それは確かである。そしてその「秘密」を追うことになる探偵と、彼に付き合う羽目になった木村の親友である神野が、音信不通となった木村の行方を追う。
 身重の「奥さん」をほっぽり出しての不倫疑惑、しかもその不倫相手がヤクザの組長の女らしい。しかも彼の勤めている会社には、ヤクザに関わる重大な秘密があるらしい、などということが次々と明らかになり、話は一気にきなくさくなってくるのだが・・・。


 この映画のカラーは「木村」に様々な方向から光を当てていくことで、様々な変化を引き起こす。今、目の前にあるものだけが真実とは限らない。何度も生まれては消えていく「木村」という男の偶像。まさに木村はこの映画のミステリーの「ジョーカー」である。この映画の中心には常に木村がいて、彼が色を変えるごとに物語は様相を変えていく。この映画の面白さはまさにそこにあり、内田けんじのストーリーテリングの肝となっている。


 すべての方向から光が当たり、木村の像が完璧に浮かび上がったとき、ちょっぴり寂しく、されど微笑ましくもあるその「真実」は、俺の頬を確実にゆるませた。ちょっと哀しく、たっぷり愛しい「ジョーカー」を演じた男の物語なのである。堺雅人にとって、エポックとなる1本だと思う。(★★★★)