虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「怪しい彼女」

原題:수상한 그녀 Miss Granny
監督:ファン・ドンヒョク



大誘拐 RAINBOW KIDS [DVD]

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「どこのお年寄りもそないな時間を生きてみたいというメルヘンみたいなもの持ってるのと違いますやろか。」(柳川とし子刀自「大誘拐 RAINBOW KIDS」より)


 先日、東京都議会で起こった「出産」にまつわる「セクハラヤジ」事件というものは、この国の一部の議員達の「女性観」を露わにした。国会で同様なヤジが起こった時、その議員は謝罪をしたその口で「でも私は信念に基づいて行動した」と言う。うちの選挙区から出た議員なのが心底恥ずかしい。
 まだまだ、出産や結婚が女性の社会進出の道を閉ざすことが常にあるこの日本で、ただ「さっさと結婚しろ」「出産しないのか。」という言葉は、日本社会ではそのまま「オンナは家に入ってろ」に近い意味を持つ。真に少子化問題を解決するためには、それは女性が子供を生み育てながら、社会進出の可能性を狭めない社会のことであると思うし、そうならなければいかんと思うな、私は。うん。



 などと、いきなりマジメな話から入ってみたが、この映画は息子を有名大学の教授にまで立派に育て上げた70歳の老母がひょんなことから突如20歳に若返り、新たな人生を謳歌しようとする荒唐無稽なコメディである。
 だが、この映画を監督したのは「トガニ/幼き瞳の告発」などの社会派監督としてならしたファン・ドンヒョク監督であるので、一筋縄ではいかないテーマが潜む。


 先日、母親がニューヨークで英語を覚えていくことで、自らの中にある「敬意」を取り戻すインド発の女性映画「マダム・イン・ニューヨーク」を見た時にも感じたことであるが、母親というものはつくづく「いて当たり前」のような存在として捉えられているのは国を問わないのだと思う。
 女性が家にいて、夫や子供に尽くすのが当たり前である、とする社会で女性は著しく軽んじられ、自らに秘められた可能性をなくして「母親」という役割を全うしつくさねばならぬ。この映画の主人公である70歳のオ・スルマン(ナ・ムニ)は、20歳のころに妊娠し、本当はあった自らが「輝ける」可能性を消してまで一人で子供を産み育て、子供のためなら人に恨まれることだってやってきた。そこまでして尽くしながらやがて老いて、家の中で軽んじられ、嫌われ、お荷物になっていく自分を自覚し、途方に暮れる。


 そんなときに、不思議な写真館で起きた奇跡で、まだ「可能性」に満ちあふれていた頃の20歳の頃の自分に戻ったことで、ナゾの娘・オ・ドゥリ(シム・ウンギョン)として「人生の輝き」を取り戻そうとするのである。

 彼女をよく知る「幼なじみ」で「元・奉公人」だったパク氏の下宿で新生活を始め、彼女を自分の祖母とも知らないミュージシャン志望の孫にバンドのボーカルにスカウトされた「オ・ドゥリ」は、持ち前の歌唱力で音楽プロデューサーに見初められ、プロデビューのチャンスを掴む。彼女の唄う唄は、自らの「失われた50年」の思いの丈をぶつけるかのように唄い、聞く者の心を震わせていく。
 かつての夢を叶え、子育てに追われて出来なかった初々しいロマンスに心ときめき、「過去」に囚われていた自分が、孫の作った「未来」に向けた唄を高らかに唄う!そんな夢のような日々をすごす「オ・ドゥリ」ことオ・スルマンであったが、やがて彼女は、娘として生きるか、老婆に戻るかの選択を迫られることになる。


 この映画は一言で言えば、「母親たち」に捧げられたメルヘンである。「夢のような日々」の中で精一杯生きた母はやがて、かつての日常へ帰る決断をする。


 けれど。本当に女性がイキイキと生きる社会は、この映画が「メルヘン」ではない世界ではないかと思う。妊娠したら、夢を諦めざるを得ない社会ではなく、母でありながら、社会の中で夢を追い求められる、そんな社会ではないかと思う。そんな社会は、今は理想でしかないかもしれない。だがそれでも、いつかこの映画が「メルヘン」ではない社会が、国境を越えてやってくることを望んで止まない。大好き。(★★★★)



<余録>

 70歳の母、オ・スルマンを演じるナ・ムニさんは韓国版「大誘拐」の主演だったりするのでした。