「超高速!参勤交代」
監督:本木克英
脚本・原作:土橋章宏
俺は昔から深田恭子が好きである。
以前、割と普通に愛をこめたエントリを書いたこともある。
昔の深田恭子はどちらかというと、周囲から「浮き立つ」ことが最大の個性であった。とにかく彼女がいるとふっと彼女の、いい意味で「空気を読まない」圧倒的な存在感が、「違和感」として作用する稀有な存在であった。彼女が登場した瞬間「深キョンオーラ」がスクリーンにある種の「異物」スレスレの存在感でそこにあるのである。
しかし、彼女は年月を経るにつれ、その「変」オーラを「隠す」術を覚えた。というか、普通に芸歴を重ねる中で女優としての「幅」が増えたといえるのかもしれない。
だが。彼女の「変」さは今も健在な気がする。時に俺の彼女への「認識」が「揺らぐ」瞬間があるのである。彼女は自らの「変」オーラを消すのがうまくなった代わりに、うまくなりすぎて、時に見ているおれ自身が彼女を認識できなくなるのだ。
彼女がテレビなりスクリーンなりに登場したときに、遠目で見たときに俺がすぐに「深田恭子」と認識できない。で、近くに寄りすぎたらそれはそれで、「・・・誰だろう」としばらくだれだかわからない。で、しかるべき距離と角度で見たときに初めて、「ああーー!深キョンじゃないか。」と気づく。そんなことが増えたのである。
ここで、みなさんに問いたい。
こうなるの、俺だけなんですかね?(知るか!)
というわけで、映画の話にうつる。
タイトルがふざけすぎてて、かえって映画ファンから敬遠されているかもしれない本作であるが、意外や意外、これがわりと堂々たる「娯楽時代劇」映画なのである。
磐城国(福島県いわき市)の湯長谷(ゆながや)藩は貧乏ながらも質実剛健な気風と、藩主・内藤政醇(佐々木蔵之介)のおおらかな性格から藩士たちも実に個性的な面々がそろっていて、藩主との関係も良好であった。
元文元年、江戸からの参勤交代を無事終えた湯長谷藩一行に、突然、徳川八代将軍吉宗の治める江戸幕府から、通常8日かかる道のりにも関わらず突然5日以内に参勤交代をするよう命じられる。湯長谷の金山を手中に入れようとする老中・松平信祝(陣内孝則)の策略によるものだった。
江戸からの参勤交代直後で金はなく、さりとて断れば、下手すればお家取り潰しもあり得る状況で、内藤は5日以内に江戸まで参勤することを決断する。老中は隠密まで駆使して彼らを追い詰めようとする中、彼らにあるのは、知力・体力・時の運。弱小藩の、藩の行く末を賭けた5日間が幕を開けた。
とにもかくにも、彼らの策は単純である。関所の行列改めがある関所の周辺で中間を雇い入れる手配をし、藩主以下、お付の藩士たちは、街道をショートカットできるけもの道を走りに走ってポイントごとに行列にもぐりこむというもの。
だが、その道中、いつ隠密が彼らを襲うかわからぬ状況で、たまたま湯長谷に逗留していた抜け忍・雲隠段蔵(伊原剛志)を雇い入れ、道なき道を駆ける。
江戸までの道中は常に走るため刀は持たず竹光を忍ばせるため、襲われたらひとたまりもない。彼らの行く末や如何に!
というわけで、シリアスな中にも、笑いありアクションありの道中が展開されるのだが、そんな中、藩主は途中で足を痛め、馬で先に宿場町に逗留することになる。
そこで出会うのが、飯盛女のお咲(深田恭子)である。
俺、深キョンが出てくることを知らなくて、彼女が出てきた時、俺まったく彼女と気づかなかったんですよね。
客を取った取らないで大喧嘩になって、柱に縛られていた彼女を、内藤がそっと見初めて部屋に呼び、あんまなんぞをさせてると、老中の命を受けた宿改めが始まり、逃げ回るうちに、内藤は彼女の苦労した生い立ちと竹を割ったような性格に惚れ込んでいく。
不覚にも、彼女が部屋に呼ばれて、あんまなどを始める段になってようやっと、「あ・・・深キョンじゃん!!」と気づく体たらくなのだが、彼女はそのくらい飯盛り女としてなじんでいる。しみじみといい女優になったなあ、と思ったものである。
というわけで、たまたま入った宿屋の飯盛り女が深キョンだったり、たまたま雇った忍びが手錬れぞろいの隠密を軽く捻ることができる、最強の抜け忍だったり、おおらかなだけが取り柄だと思われた内藤が、実は居合い抜きの達人で隠密と互角以上に渡り合うなど、いくらなんでもチートすぎるだろ!と思う場面も多いのだが、シチュエーション・コメディ時代劇版かと思いきや、物語設定の面白さもさることながら、花のお江戸で忍者軍団vs湯長谷藩士の全面戦争といえる本格的なチャンバラが堪能できるクライマックスやら、大名と娼婦の身分差ロマンスまでぶっこむ意外と欲張りな娯楽映画で、なかなか楽しい拾い物の佳作でした。大好き。
結論としては、やっぱり深キョンかわいいなあ。<そこか。(★★★☆)
ちなみに、映画自体はハッピーエンドで終わるのだが、主役の内藤政醇は、映画で描かれる年から6年後、31歳の若さで亡くなっている。そのことはこの映画では語られないが、なんか、ちょっと切ない歴史的事実であります。