虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

深田恭子が放つ、「変」オーラという宇宙。

toshi202005-03-17


 冬に始まった連ドラで唯一まともに見ていたドラマが「富豪刑事」だったりします。その「富豪刑事」が今週最終回。


 正直飛び抜けて出来がいいドラマというわけではない。ミステリーとして出来がいいわけでもなく、コメディとして突き抜けているわけでもない。なにか大きなうねりがあるわけでもないのだが、気が付けばはまっていた。


 原作は筒井康隆(瀬崎役で出演)の同名小説。富豪の祖父を持つ新人刑事が、捜査のために祖父の金とコネクションを思う様使った捜査をする、刑事コメディドラマである。


 このドラマのストーリーラインは基本的に一定である。開幕でテレビに取り上げられるような大事件が起き、鎌倉刑事部長が署長にハッパかけられ、その頃神戸美和子刑事が大富豪である祖父・喜久衛門らに見送られ優雅にご出勤。そして、鎌倉刑事部長が刑事一同を集めて事件について問答をするが、決定的な解決策が出ない。そこで神戸美和子刑事が手をあげてこういう。


「あのー、ちょっとよろしいですかー」


そして彼女が突飛な提案(大抵手間、暇、お金がかかる)をし、周りの刑事の露骨に嫌な顔をされながらも、結局採用になる…という流れである。


●彼女の提案例
・名画を盗まれないために他の名画でめくらまし。
・社長連続殺人犯を捕まえるために、会社を設立し自ら社長に。
暴力団の手打ち式を無事執り行うためにホテルを建設。
ラグビー部監督連続襲撃事件の犯人を捕まえるために学校建設。


 …と言った感じ。


 ただ、ここでこのドラマの面白いのは、それが決定的な成果を上げるほどには上手くいかないこともある、という点と、ヒロインの武器が、祖父のお金を使った「作戦」と「お嬢様」というキャラクターが持つスキル以外には、何も持たない女性であるという点である。人並みに推理するスキルはあるのだけれど、名探偵というほどの推理力はなく、時に完全な勘違いであることもある。
 つまり、富豪刑事は万能ではない。「金にものを言わせながら、金が全てを解決しない」ドラマ。そして富豪の孫、という肩書きがない神戸美和子という女性は、ただの「変な場違い女刑事」である。


 よって、作戦が暗礁に乗り上げた場合、俄然(その尻ぬぐいをする)先輩刑事たちの方が見せ場は多くなる。


 しかし、そんなキャラクターでありながら、突飛な作戦が失敗した後でも、ヒロイン・神戸刑事は淀みなく存在感を発揮しつづける。なぜか。それは、深田恭子の存在そのものが圧倒的に「変」だからだ。画面に存在し続けるだけで違和感を感じさせる、その圧倒的な「変」オーラが淀みなくフカキョンから放出されるのである。


 (ここで重要なのは、決して深田恭子が変な行動をしているから「変」なわけではなく、自然体を保っていながらにして「変」であることである)


 「下妻物語」で開花したその「変」さは、「富豪刑事」においては盤石の極み。貫禄すら感じさせ、他の出演者のキャラクターをも浸食する。升毅相島一之寺島進鈴木一真ら、同僚刑事役を演じる彼らだって、十分に「濃い」役者たちだが、彼らが束になっても、彼女の淀みない「変」さの前では形無しである。


 そんな「変」オーラこそ、深田恭子の魅力であり、そして「富豪刑事」というドラマの魅力の根幹なのである。


 そして今週の最終回「絶体絶命の富豪刑事」において、深田恭子は日本映画界屈指の「変」オーラ男優であり、「富豪刑事」主題歌「愛のメモリー」を唄う、ミッチーこと及川光博と対決!ミッチーと対峙してもなお、拮抗するほどの「変」オーラを放つフカキョン。そんな二大変オーラの押収に私はますますクラクラしてしまうのであった。
 そんな二人の前では、特別出演した濃ゆい中年ダンディ松崎しげるですら、霞んでしまう。


 日本人はあまりにも「普通」であることに慣れてしまう。だが、今、日本に必要な役者はミッチーやフカキョンのような「変」オーラを発揮できる男優・女優であると思う。日本人よ!変であれ!