虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ロボコップ」

toshi202014-04-09

原題 RoboCop
監督ジョゼ・パジーリ
脚本ジョッシュ・ゼッツマー/ニック・シェンク


 遅ればせながら見た。


 一言で言えば、大好きである。


 主人公・アレックス・マーフィー(ジョエル・キナマン)は警察の押収した銃が不正に横流しされていることを知り、その不正を暴くべく動き出していた。だが、相棒である刑事が捜査中に撃たれ重傷を負い、自身も又、車に仕掛けられた爆弾による殺人未遂事件によって人体のほとんどを消失し、脳と心臓と肺を残してほぼ死んでいる状態になってしまう。
 そんな時、世界的に普及した自律系人型の「警官ロボット」開発するオムニ・コーポレーションが、アメリカに市場を開拓するために、アメリカで制定された「ロボット警官お断り!」という法律を覆す横車にすべく、ロボットの肉体と人間としての意識を持つ「ロボコップ」として生まれ変わることになる。


攻殻機動隊 (1)    KCデラックス

攻殻機動隊 (1) KCデラックス


 リブート版ロボコップを見ていてすぐに思い出したのは「攻殻機動隊」である。攻殻機動隊の場合は義体という「機械仕掛けの人体」であるけれども、いわゆる人型としてきちんと社会生活に対応できるところまで精巧に作り込まれた「工業製品」である。
 けれども、この映画では、彼は社会生活を取り戻すことはおろか、もはや生命を維持するためには常に企業側のサポートを受けなければならない。もはや、彼は一般的な社会生活は望めない。


 もうひとつ、この映画で重要なのはロボットの肉体がいわゆるマーフィーの中の人間性の「拘束具」であることだ。マーフィーを26億円もかけてオムニ社が彼の生命を延命させたのは、慈善事業ではもちろんなく、政治的な横車に彼を利用して、世界的に普及し、より確度の高いロボット警官をアメリカの市場に持ち込むという設定になっている。
 つまり、彼の存在はあくまでも世間に向けての雛形であって、彼は「既製のロボット警官よりも若干性能が劣る」ということが、VRシミュレーションではっきりと明示されている。そこでオムニ社は、よりロボットに近い意識に近づけるように彼をコントロールするために脳にある改造をほどこす。結果マーフィーの脳は通常モードと戦闘モードが切り替わり、戦闘モードではコンピューターが判断したことを自分の判断だと「錯覚」させる、というところまで脳をコントロールされる存在になってしまう。


 ここがこの映画の面白いところだとボクは思う。機械と人。その境界線をたゆやうマーフィーの意識。言わば彼は「代替品」に過ぎないのである。「製品」を市場に導入するための「つなぎ」として延命を許された哀しき存在として彼は生きねばならなくなる。
 彼は法律上の制約から、あくまでも人間としての「犯罪」を見る存在と定義されている。そして、彼の「中身」はあくまでも人間であり、いくら「肉体」というデバイスが高度化しようとも、それを見るのは人間である「マーフィー」自身だ。ここは脳内に警察署のあらゆる犯罪記録を脳内インプットする際に、彼は犯罪記録を認識していくうちに、エラーを起こしてしまう。
 彼は結果として人間性を完全に押さえ込まれることになるわけだが、これはつまるところ、彼が人間であるがゆえ起きたことである。機械と人間の間をたゆやいながら、マーフィーは妻の懇願によって、押さえ込まれた「彼自身」の感情と本来の正義感を取り戻すことになる。


 この映画はオムニ社が彼を抹殺しようと動き出した事で、彼に「社長」を追い詰める方向へと向かうのだが、この映画が終わってもなお、彼はオムニ社の存在なしでは、やはり生きてはいけぬことに代わりはない。
 もともと義肢の開発者だったデネットノートン博士(ゲイリー・オールドマン)が、科学者としての善悪の狭間で揺れ動きながらマーフィーの機械化に荷担しつつ、最終的にマーフィーとその家族の理解者となったことで物語は一応の決着を見るのだが、新たな「機械化した身体」という難儀なデバイスを手に入れた警察官の、苦悩はまだ終わらない。それこそノートン博士が「義体」レベルの、新たなデバイスを開発でもしない限りは、決してハッピーエンドにはなり得ぬ話なのではないかと思いました。(★★★★)

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