虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ダラス・バイヤーズクラブ」

toshi202014-02-23

原題:Dallas Buyers Club
監督 ジャン=マルク・ヴァレ
脚本 クレイグ・ボーテン/メリッサ・ウォーラック


 ある人物の病室に男はやってくる。すると人物のパートナーだった男性が病室で荷物を整理している。ナニが起こったか悟った男はその病院の担当医師を探して歩き回り、やがて医師を見つけると勢いよくつかみかかる。男は憤怒で声を荒げて叫ぶ。「お前は医者じゃない!人殺しだ!お前が殺した!」。屈強なガードマン二人に連れ出されながらも、男は叫ぶのをやめない。いつまでもその声は病院に響いた。



 男はかつて余命宣告を受けたことがある。残りの人生、30日。
 男の名前はロン・ウッドルーフという。


 はじめは咳き込むくらいだった。
 時は1985年。典型的なテキサス生まれの南部生まれ男。考え方もマッチョで保守的で、人種や性差別も平気で行う、言っちゃなんだがクソ野郎。部類の女好きで、男の象徴、ロデオの会場で商売女とまぐわっり、タバコ・酒・麻薬なんでもござれ。やらないのは同性と交わることくらいだった。ゲイのは恐怖に近い嫌悪を抱いていて、ゲイを中心にエイズが発症し始めてからは、ますます嫌悪は激しくなり接触することすら嫌うようになる。
 「エイズなんてのは、「ホモやオカマ」のなるもんだ!」仲間内で笑い合っていたロンは、ある日、激しいめまいと耳鳴りで家でぶっ倒れるようになる。ある日、気楽なロデオ稼業のつなぎでやってる電気技師の職場で感電して病院にかつぎこまれ、そこで血液を検査された彼は、医師から重大な告知を受ける。


HIV陽性反応あり。」


 嘘だろ。なにかの間違いだ。俺は「ホモ」じゃない。薬物も吸引のみで注射は使わない。やるのは異性とのセックスだけだ。医師の診断は「エイズで余命30日」。
 ロンは医者の言うことを一笑に付して病院を去るも、医者に告知は頭の隅から離れない。図書館でエイズについて調べた彼は、マイクロフィルムに入った新聞記事に書かれたエイズの原因として「避妊しないセックス」でも罹ることを知る。男は記憶をたぐる。
 脳裏に浮かぶ、ロデオ会場での商売女たちとのまぐわい。あの女たちの腕に注射跡があった。「ちくしょう!!」。男は図書館で絶叫する。余命宣告を受けた病院で、宣告した医師に会いに行くも不在。代わりに診たのが医師のイブ(ジェニファー・ガーナー)であった。
 彼はエイズ対処薬として製薬会社が作り出したAZTという薬の処方を頼み言下に断られるのだが、生きるのに執着する彼は、病院の看護士と結託しAZTを不法に手に入れるのだが、体調は日に日に悪化していった。AZTはエイズに効く代わりに毒性が強く、色々問題を抱えた薬だったのである。だが、やがてその薬はエイズ治療薬としてアメリカで唯一の認可を受けることになる。


 AZTではダメだ。そう悟ったロンはメキシコへ行き、そこで治療を受けることで「体験的」にAZT以外にもエイズに有効な薬や対処法があると知る。男は生きるために、メキシコで「学んだ」アメリカでは未認可の治療薬を国内へと持ち込み、エイズ患者たちにさばくことを思いつく。だが、エイズ患者の「多数派」を締めるゲイコミュニティに差別と恐れがあるロンは、なかなか売りさばくことができない。
 そこでロンは、病院で知り合った、ゲイでイブの友人でもあるレイヨン(ジャレット・レト)と手を組み、彼をビジネスパートナーとすることで、販路を拡大。やがて、会員権を売り、会員に無料で治療薬を提供する組織を立ち上げる。その組織こそ、後の「ダラス・バイヤーズクラブ」である。


 医師が宣告した余命は越えた。残りの人生を一日でも多く伸ばし、生きてやる!くたばってたまるかよ!すべては「自分が生き残る」ために。当たり前の生活を取り戻すために。それが男の戦いの根源であった。


 マシュー・マコノヒーやジャレット・レトの激痩せ役作りの話題が先行していた本作であるが、この映画の魅力は、マシュー・マコノヒーやジャレット・レト、ジェニファー・ガーナーの肉体を通して語られる、人としての「実感」を観客に積み重ねさせることで成立している。
 「どんなに理屈を言われたってゲイなんて気味わりい」という態度を崩さないロン。それは彼の中にある「異物への共感能力」のない男の、「正直」な態度である。男はエイズにならなければ、一生「ホモフォビア」であり続けたろう。男を変えるのに一番重要だったのは「現実」と向き合う中で見えてくる、「体験」からくる「実感」である。


 AZTなんて薬を認可し、処方し続ける国や医師への怒り。彼は「正義」には興味はない。だが、ただ言いなりになってくたばるのだけはごめんだ、という至極正直な「生存欲求」から「ダラス・バイヤーズクラブ」という組織を立ち上げ、エイズ患者たちは薬を求めて長蛇の列を作る。結果として多くのエイズ患者を救うことになる。
 当然違法スレスレなので、病院や製薬会社、麻薬取締局(DEA)などからは目の敵にされ、妨害の憂き目に遭うのだが、ロンは弁護士を雇い、決して泣き寝入りはせず、徹底抗戦を貫く。


 病気と向き合い、いつかは前の気楽な生活に戻れたなら。そんな「希望」が男を突き動かしている。だから、ビジネスパートナーとなるレイヨンにも、自分から理解を示そうとはしない。だが、かつて抱いていたトランスジェンダーたちへの「恐怖」は次第に薄れていく。
 ロンは、エイズになった事でかつてのカウボーイ仲間から「ホモ野郎」呼ばわりされ、仲間から放逐された。そのことは、ロンにとって深い傷となっている。だから、彼らの社会から阻害される気持ちを「体験」から「痛み」と「怒り」とともに認識している。阻害するもの達への「怒り」という「実感」は、彼の差別感情をも変えていくのである。
 そして、そんな「生き残るために」変わっていく男と出会った女性医師・イブも、国や製薬会社、病院のやり方に疑問を感じながら、病院のやり方に流されていた自分を恥じ、やがて、医師として恥じない生き方を模索し始める。


 この映画が「実話に基づいた深イイ話」だのの枠に決して収まらないのは、ロン・ウッドルーフを決して英雄としては描いてないことにある。自分に正直に生きた「南部のマッチョで差別主義のクソ野郎」が、病を得たことで生き抜こうとあがき続け、その中で次第に変わっていく姿を描いているのである。
 マシュー・マコノヒーはそんな男のあがきを実に見事に演じきってみせる。見世物の演技合戦には終わらない、一人の男の「生への飽くなき欲求」から来る、ニンゲンのあがきを見事に体現してみせる。そして、そのあがきが、周囲に、社会に、なにより自分に化学反応を起こしていく。時に、人が必死にあがいてみせなければ、世界は変わらないのである。傑作。(★★★★★)