虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ウルフ・オブ・ウォールストリート」

toshi202014-02-12

原題:The Wolf of Wall Street
監督 マーティン・スコセッシ
脚本 テレンス・ウィンター
原作 ジョーダン・ベルフォート




紙の月

紙の月


 今年の1月頭くらいから、NHKで角田光代さんの小説「紙の月」が原田知世主演でドラマ化され、放映されていたので毎週欠かさず見ていた。話は結婚を機に家庭に入ったものの子供が出来ず、生きる実感が持てなくなり、ある日、友人に勧められてパートタイマーとして銀行で働き始めた主婦・梅澤梨花が、資格を取り、フルタイムで働き始めたのだが、そのうちに彼女は横領を始めてしまい、結果1億円横領して、海外へ逃亡してしまう。なぜ彼女は横領をするに至ったのか。という話で。

 働くことで承認されていることに生きている実感を感じられるようになった彼女だったが、夫は彼女が働くことを面白く思っておらず、彼女の仕事の価値を低く見ようとする。そんなすれ違いの中で、顧客の老人の孫である青年と知り合った。楽しい時間を過ごした彼女は、いつもは手に取らない化粧品を、よりにもよって顧客から預かったお金で買ってしまう。
 そこから彼女の感覚は狂っていく。彼女は証書偽造という犯罪に手を染め始める。


 彼女の高校時代の親友2人の登場人物を交え、金という魔物に振り回される様を描いたドラマで、毎週、俺はそれを憂鬱になりながら見ていた。いやま、面白いんだけど、とにかくヒロインが悪い方悪い方にずぶずぶと、深い沼に首まで浸かっていくドラマなのでとにかく憂鬱なのである。


 彼女が横領をする理由。それはカネを手にしたことによって、「万能感」を得ることが出来るということだと、彼女はナレーションで述懐する。現実に飲まれそうになる自分を忘れるかのように、彼女はカネへの感覚が麻痺させていく。背徳感もなく、その偽造証書によって顧客から搾取したカネを彼女は、青年の借金を肩代わりしたのを皮切りに、彼女は青年とスイートルームに連泊したり、アムステルダムへの旅行費用を肩代わりしたりする。そのたびに彼女は顧客に偽の預金証書を作りばらまいていくのである。
 やがて、その犯罪も終わりの時が来る。だが、彼女はその日が来るとは夢にも思わずに突き進み続ける。


 あくまでも、彼女は普通の女性。であったはずである。しかし、カネの「万能感」は彼女を確実に狂わせていった。そして、彼女は横領犯として指名手配を受けることになってしまう。


 ドラマ「紙の月」全体的には静かなドラマで、普通の主婦が泥沼にはまり込む姿を描いていくのであるが、どことなく「ダウナー」なトーンで描かれている。彼女の中の「万能感」の中にある高揚はあえて胸の奥に秘められており、それが表に出さないような描かれ方をしていて、彼女の墜ちていく道行きを見つめたドラマだからである。



 ひるがえって。この映画である。


 こちらはというと。完全にカネを得る「万能感」をとにかく「アッパー」に次ぐ「アッパー」な演出で描いていく。「カネ」を得て、そして存分に使いまくる「高揚」の方を前面に出して描いてみせるのである。


 妻のある身ながら、野心を抱いて22歳でウォール街投資銀行へ飛び込んだジョーダン・ベルフォード(レオナルド・ディカプリオ)。彼は先輩に気に入られ株式ブローカーとして修行をし、いざデビューという段になって、「ブラック・マンデー」で会社が倒産。
 学歴もコネも経験もなかったが、再就職先の小さなペニー株(クズ株)専門取引会社で頭角を現し、その経験を生かして26歳で証券会社ストラットン・オークモント社を設立。ペニー株を富裕層を狙い撃ちしながら売りつけて多額の手数料を取る形で、莫大な利益を上げていく。もちろんこれは違法である。


 カネを得る万能感。更に麻薬で自分を奮い立たせ、自信をつけた男は、自分を鼓舞するかのようにエネルギッシュに社員を奮い立たせ、社員にとってもカリスマ的な影響を持つようになる。俺は出来る!なんでもやれる!どこへでもいける!お前たちもやれる!
 カネの万能感+麻薬の万能感。セックス&ドラッグ、そしてカネ。酒池肉林の日々。だが、それそんな生活にも現実は存在している。再婚した元モデルの妻も彼の朝帰りを怒鳴り散らすし、彼の麻薬漬けによる醜態をなじる。そして、なにより、彼の会社のビジネスモデルは明らかに違法スレスレというより、限りなくクロの領域に入っている灰色なのである。やがて、FBIが彼の周りを探り始めるようになる。


 そのことを彼はわかっている。だが、一度「万能感」を手に入れてしまうと人間は後戻りはできない。どこまでもどこまでも、突き進んでしまう。ジョーダン・ベルフォードのそれは、ケタが違う。なんせ年収49億円。今の生活はやめられない。でも捕まりたくない。結果として彼はいよいよ迷走を始めることになる。
 そんな彼の醜態を、マーティン・スコセッシ監督はあらん限りの演出で全力で描いてみせる。俺はイケる!なんでもやれる!稼いで稼いで稼ぎ続けてやる!見ろ!この俺を!という形で自分を必死に鼓舞し、あらん限りの事をやり続ける男。そして、時に盛大にずっこける。それが最高に面白い。
 フツーのコカインには慣れてしまい、より強い麻薬を欲した彼が、会社立ち上げの頃からの友人と試しに飲んだ後の顛末なんて腹抱えて笑ってしまう。


現代落語論 (三一新書 507)

現代落語論 (三一新書 507)


 かつて、立川談志師匠は「落語は<人間の業の肯定>である」と説いた。


 この映画の主人公の行動は、すべてが違法(イリーガル)。すべてはまやかしである。


 だけど、あらゆる物を手にし、あらゆる事を正直にやり尽くす。善悪の彼岸を軽やかに越えた、人間の「業」の集大成のようなその男。その男の業を肯定し、パワフルに行き着くところまで行ってなお、生き続けている姿を、おかしみをもってハイテンションで描ききってしまうこの映画は、まさに、面白いコメディでもあり、最高のエンターテイメント、つーか見世物である。大好き。(★★★★★)