虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

朝ドラTwitter実況文化の楽しさについて

toshi202014-02-15




 最近の私のTwitter上での楽しみに「朝の連続テレビ小説」の「実況」がある。


 きっかけとしてはいつだったか、とさかのぼると、そもそも実況している舞台ははてなハイク上が多かった。「相棒」や大河ドラマなどの実況などはそちらでやっていたし、今もちょくちょく参加しているのだが、朝ドラにハマる最初の萌芽は「ゲゲゲの女房」である。
 「ゲゲゲの女房」を見た後に、NHKオンデマンドで「ちりとてちん」を見て、その楽しさに触れたことは以前書いた。この「ちりとてちん」で朝ドラという世界の奥深さに目覚め、藤本有紀という脚本家に心酔し、大河ドラマ平清盛」にもハマリこむことになる。
 「平清盛」ではTwitterが視聴者からは深く没入するツールとして活用されていることもエントリを書いた事があるので割愛する。


【参考リンク】
木戸銭払っても見たいテレビドラマ - 虚馬ダイアリー
「平清盛」が象徴する新しいテレビドラマの楽しみ - 虚馬ダイアリー


 で、私はというと、「ゲゲゲの女房」以降、一旦朝ドラ視聴から離れていたのだが、去年春から始まった「あまちゃん」で熱が再燃して今に至るというのがざっとした経緯ではある。感覚としてはクドカンの新作ドラマが毎日見られる!という感覚で見始めたわけであるが、結果としては人生の中で、かつてないほどの朝ドラ熱をこじらせることになった。ここから私は朝ドラについてのみ、実況をはてなハイクからTwitter上に移した。


 この1年近く「あまちゃん」に始まり、秋からはじまった「ごちそうさん」、さらに再放送が始まった「ちりとてちん」までTwitterで実況するに至り、いよいよ一部フォロワーさんたちの不興を買うようになったりもするのであるが、ただ、実況という文化が面白いのは「実況する」人が私の他にも多数のユーザーいて、朝ドラはその間口が広い分、様々な人が実況に参加しているところが、多様な広がりを生む文化として、Twitterの中で成立してもいるのである。
 自分の気づいたことが相手が気づいていなかったり、相手が気づいたことを自分が気づいてなかったり、ということが当然ある。それを補完し、ドラマの見方そのものを、時に高め合うことが出来る。


 「あまちゃん」「ごちそうさん」「ちりとてちん」。3つのドラマを実況してわかったのは、ドラマごとにその実況のありようも違う。ということである。その違いについて、このエントリで、ざっと書いていこうと思う。



あまちゃん」の場合


あまちゃん 完全版 Blu-rayBOX1

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 「あまちゃん」は脚本担当が宮藤官九郎という天才脚本家であるので、非常に先の読みにくいドラマだから、毎日「オドロキながら見る」という「感情の共有」がある。これほど「来週のあらすじ」を読むことを恐れられた作品はなかった。キャラクターたちの行動が時に視聴者の想像を超えてくるところが、「あまちゃん」というドラマの革新的なところ。
 それを東京と地方、世代ごとの格差や理解無理解などを日常の連なりの中に描く、というある種朝ドラの「伝統」的な縛りの中で描いているのが、クドカンらしからぬどっしりとしたドラマ作りを生んでもいるという意味では、クドカンにとっても、朝ドラにとってもエポックなドラマになっている。
 やがて来る「3.11」の日、さらにクライマックスに向けて話が進むごとに、感情の共有はかつてないグルーブ感を生んでいくという、まさに「ライブ」な感覚こそが「あまちゃん」のすごいところであった。


 このドラマのTwitter実況の醍醐味はライブ感の「共有」である。

ちりとてちん」の場合。


ちりとてちん 完全版 DVD-BOX I 苦あれば落語あり(4枚組)

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 こちらは再放送(正確には再々放送)であるので、まず初見かそうでないか、によって見方が分かれるのも大きい。ストレートに物語に一喜一憂する初見組と、先を知っていることを踏まえつつ、如何にネタバレしないように実況するか、という既見組が如何に共存しつつ、実況を行うかというところも面白いとこである。そして今のところ、大きなトラブルになっていない。物語自体がじつに良く出来ていることも手伝って、実に平和に物語に身を委ねて楽しんでいる。
 このドラマはネタ元に古典落語を使うことが多く、「実はこの話のネタ元は○○で」と、かつて「ちりとてちん」にずっぽりハマった人たちが解説してくれたりするところが、実にかゆいところに手が届く感じで、それがまた楽しい。
 また主要登場人物が初登場するたびに「お、○○!」「待ってました!」とまるで歌舞伎鑑賞の際の「成田屋!」「音羽屋!」のような形で反応が起こったり、またドラマの分岐点となる名シーンを一緒になって泣いたり笑ったりできるのも面白いところである。


 このドラマのTwitterは物語を深く「堪能」し「理解」するためのツールになっている。

ごちそうさん」の場合

 さて、秋から始まった「ごちそうさん」はどうか、というと。このドラマは始まった当初は、視聴者もどちらかというと探り探り見ているというか、「あまちゃん」とはあきらかに描こうとしているものが違うがゆえのとまどいがある。め以子(杏)というヒロインが「食べるのが好き」なのと「やたら背が高い」という以外に、お嬢様育ちで勉強もできないし料理もしない、という特筆すべきところのない割に気が強い少女というキャラクターも、当初はあまり大きな共感を生んでいない。


 このドラマで最初に物議を醸したのは「納豆事件」のくだりである。実家のレストラン「開明軒」に居候することになった、大阪出身の帝大生・西門悠太郎(東出昌大)が「納豆」が大嫌いだというので、「納豆」を食べてもらって好きになってもらおうとしため以子は、苦心惨憺して「納豆」を料理の中に仕込んで食べさせて「まずくないです」という言葉を引き出すことに成功するのだが、この行動が視聴者の間で賛否両論真っ二つに分かれた。無理矢理「嫌いなものを食べさせる」という行為に対して、拒否反応を示す人が続出したのである。
 だが、このドラマの真価はまさに、この納豆事件に代表されるように、ヒロインの行動が必ずしも「絶対正しい」ものとして描かれない、ことにあることに視聴者が気づくのは、め以子が悠太郎と婚約して舞台を大阪に移行して後である。


 大阪編が始まって、いきなり強烈な存在感を発揮するのが、め以子の義姉となる西門和枝(キムラ緑子)である。め以子が作った食事に「西門家の味になっていない」と難癖をつけたり、時に膳をひっくり返すなどの、様々ないやがらせ(いけず)の数々を行い、それがまあ理由もわからないがゆえに視聴者を恐怖におののかせた。それでもめ以子は西門家の嫁として認められるべく奮闘するのだが、それでも止まぬ、昼ドラかよ!と突っ込ませるほど理不尽な和枝のめ以子に対する横暴の数々に、これまた拒否反応を示す人が続出するわけであるが、実はここで面白い現象が出てくる。
 「め以子可哀想!がんばれ!」「和枝ひどい!このク○ババア!」という声(自分含む)が圧倒的なのだが、その中に「いや、和枝の気持ちもなんかわかる」「和枝には和枝の理由があるのではないか。」という和枝擁護派がちらほら現れることである。あの時点で和枝擁護派がいたことは、実に面白いことである。
 そして、め以子にも和枝に嫌われる理由があることが、物語の中で少しずつ見え始めてくる。


 出てきた当初は、圧倒的インパクトでまるで悪人のように視聴者から嫌われる和枝。少しずつめ以子への理解を示していき、最後にはみんな仲良く、ハッピーに・・・というのがセオリーであるが、このドラマはそうは終わらない。
 和枝は嫁ぎ先で邪険に扱われ、大事な一人息子を喪って離縁される、という憂き目を経験していた。そのために、自分がされたことをめ以子にもしてしまう。やがて、結婚詐欺という目に遭って絶望のどん底に突き落とされた彼女。そんな時、力になってくれたり、相も変わらずいけずにめげないめ以子を認め始めるし、彼女を好きになろうともするのだが、しかし、彼女は自分と違い決して折れないめ以子が「好きになれない」という感情を否定することが出来ず、再婚して西門家を出て行く決断をするに至る。
 ここに至ると、和枝というキャラクターの複雑さに皆共感し、彼女が数週のちに再登場した際には視聴者が皆暖かく迎えるほどに、「ごちそうさん」でも屈指の人気キャラクターになっていく。


 また視聴者の間でさらに賛否両論を巻き起こしたのは、西門悠太郎と彼の幼なじみである女性・松田亜貴子(加藤あい)の再会によって起きた「不倫?騒動」のくだりである。医者になって大坂に戻ってきた亜貴子と、現場で怪我をしてかつぎこまれた病院で再会した悠太郎は、亜貴子の「再診」を受けに、め以子に黙って朝早くいそいそと出かけていくようになる。もちろん、医者と患者という関係の中で会いに行ってるだけなのだが、幼なじみであり、憎からず思っていた間柄であるということもあった。その事を後に知っため以子は、かつてないほどの嫉妬の炎を燃やすことになる。
 ここで問題になるのは「これが不倫か不倫でないか。」ということだと思うのだが、ボクは「不貞行為を行ったわけじゃないからなあ」と鷹揚に構えてて、「こういうのわかるなあ」と悠太郎側に立って見ていたのであるが、Twitter上で巻き起こったのは圧倒的な悠太郎バッシング(主に女性)である。とにかく悠太郎の嫌われ方がすさまじいの。問題は「友情以上の感情を持って、妻に秘密にして密会すること」であるらしく、「不倫は行為の深い浅いの問題ではない!」という意見が多かったのも面白かった。最後には「家から出てけ!」と悠太郎を家から追い出すに至るめ以子の嫉妬を「当然」と見るか、「やりすぎじゃね?」と見るかで分かれたりする。


 かように、「ごちそうさん」を見ている層は女性が多く、め以子が経験する結婚・出産・育児などを我が事のように語る人が多いのも特徴で、そこに見えてくる様々な「夫婦観」「出産育児観」「親子観」など様々な価値観が立ち現れて、それが「ドラマ実況」の中でむき出しになってくるのである。


 「ごちそうさん」のTwitter実況で見えてくるのは、感情の「共有」だけではなく、多様な価値観が立ち現れることで見えてくる、「止揚」の楽しみである。
 自分の見方が必ずしも正しいとは限らない。ヒロインが一方的に正義でもなく、ましてや一方的に悪でもない。
 そこに登場人物への感情を「実況」することで、様々な「見方」が立ち現れる面白さである。自分の見方だけでは計れない。物語を追っていく中で、視聴者の多様な価値観を喚起するのが「ごちそうさん」というドラマのすごいとこである。
 そしてその互いに他人の価値観を見ることで、ドラマの見方がより深まっていくわけである。




 というわけで、朝ドラのTwitter実況は作品ごとにその楽しみ方が変質している。視聴者が作品に合わせて、楽しみ方を変えていく。三者三様、それぞれに物語へのアプローチが変わってくる実況文化。その千変万化なところが、私が朝ドラ実況に魅了される所以なのである。