虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ラッシュ/プライドと友情」

toshi202014-02-11

原題:Rush
監督 ロン・ハワード
脚本 ピーター・モーガン

 


 不思議な映画である。


 ジェームズ・ハントニキ・ラウダ
 この映画は、二人の男の人生のうち。1970年から1976年までのたった6年間を描いた映画である。にも関わらずこの映画にこめられた一瞬一瞬は、まるで、現代のこの日まで真空パックされたような、生な人生が詰まっている。
 題材はF1レーサーふたりの物語であるが、ロン・ハワードは二人の性格、生き方、女性へのアプローチ、仕事に対する姿勢を並列しつつ、描く。この映画はその二つの「生」がまるで螺旋のように絡まるように、人生を疾走していく様を描いているのである。


 ボクはこの映画のクライマックスとなる1976年の時点で生まれたばかりであり、まったく知らない話であるので、非常に新鮮に見た。


 二人が初めて邂逅するのは、F3でニキ・ラウダが初めてレースにデビューした頃である。
 ジェームズ・ハントクリス・ヘムズワース)は性格は豪放磊落(らいらく)という言葉に服を着せたり着せなかったりというような男で、とにかく私生活は派手。目当ての女性を見つければ自慢のルックスと肉体であっという間にゲットするし、夜遊び女遊びは夜を徹して行う。金遣いは荒く、カネの管理は友人である貴族のパトロンに、車のメンテナンスはスタッフに完全に任せて、自分の運転技術の天性だけで勝負する。今日死ぬつもりで人生を謳歌するタイプの破天荒男である。故に、レーサー仲間からは人気が高い。
 一方、ニキ・ラウダダニエル・ブリュール)は、真面目。だが、偏屈。女遊び、夜遊びはしない。一見すると派手さがないため、私生活ではF1レーサーであるとは気づかれない。常に節制し、規範にうるさい。車のメンテナンス技術は超一流で、既存の車を一晩で改良してしまう技術を持つ。実業家の家系のためビジネスの駆け引きに長けていて、レーサーになるという夢に理解を示さない実家からの援助がアテに出来ないと悟った彼は、銀行から融資を受けて多額の持参金でチームに潜り込み、自慢のメカニック力で信頼を獲得することで、レーサーとして雇われ、結果を残していくことで、キャリアを積み上げていく。だが、真面目すぎる優等生タイプなので、レーサー仲間の人望に欠ける。


 お互い、足りないものが相手にあるため、互いに嫉妬の対象であり、目障りな男であった。ゆえに常にふたりは意地を張り合い、敵意むき出しのデフコン1状態でレースに突入。負けたら、相手を越えるために、努力をし始める。

 F3からF1に舞台を移してもなお、ふたりの関係も性格も変わらない。だが、ニキ・ラウダが躍進し、ニキをたたきのめしたい一心から、ジェームズ・ハントニキ・ラウダのように節制した日々を過ごし、真面目になるために結婚もしたりした。その甲斐もあってオランダGPでは初勝利を果たしたが、ニキのやり方を真似たとしても、結局ニキに叶うわけもなく、1975年にはニキ・ラウダフェラーリに所属し、その卓越したメカニック技術で改良した車両を駆使し、シーズンのチャンピオンとなり、ハントはチームが資金難のため撤退する憂き目に遭う。
 だが、マクラーレンで一人レーサーの欠員ができたのを見て、ハントはこれ幸いと入り込み、チームのエース格になると、ニキとハントはこれまで以上に火花を散らす戦いを見せ始める。


 1976年のシーズン序盤はポール・ポジションはハントが取るが、優勝はニキがかっさらう形で進む。だが、第4戦のスペインGPでハントがついに念願の初勝利。
 しかし、そこにケチをつけたのがニキ・ラウダ。彼はマクラーレンの車幅を問題視。その結果、失格と成りハントの勝利は取り消され、車に手を入れることを余儀なくされると続くレースでハントの調子は一気に悪くなり、結果として「車の改悪する羽目になった」とニキへの憎悪を募らせる。(なんかものの記事によると会うごとにニキ・ラウダに怒鳴ってきたそうで。)
 こうしてシーズンはニキ・ラウダが優勢に進め、第9戦のイギリスGPの時点で35ポイント差がついていた。

 ついに、物語は、運命の第10戦、ドイツグランプリへと進む。その日は悪天候のため、路面状況は最悪。ニキ・ラウダは事故のリスクへの懸念から、レースの中止を要請するのだが、それに反対したのがジェームズ・ハント。車が本調子になってきて勢いが戻ってきていた彼は、ニキがポイントを死守したくて中止にしたいんだろうと主張し、彼を慕う多くのレーサー仲間がそれに同調する形で、中止要請は却下される。
 そして、レースは開始されるのだが、タイヤ選びに失敗したハントとラウダはピットインを余儀なくされる。様々なアクシデントでピットから出るのが遅れたニキ・ラウダは、遅れを挽回すべく、雨の中を疾走するが、エンジントラブルでクラッシュ、さらに後続を巻き込み、ニキ・ラウダの車は大炎上。生死の境をさまようような大やけどを負うのである。
 周りのレーサーたちが彼の救助に向かう中、走り続けたジェームズ・ハントは走り続け、ドイツグランプリ優勝。


 そして、そこからジェームズ・ハントの快進撃が始まるのである。ニキ・ラウダのいない間に、ジェームズ・ハントは連勝を重ね、ポイントを獲得していく。
 やけどで枕も上がらず、あまりの重症ぶりに関係者から臨終の儀式を行われ、その際に呼ばれた神父を「まだ臨終じゃねえよ!」と追い返したりするニキ・ラウダだったが、テレビから流れてくる、ジェームズ・ハントのにやけづらを見て、「くぬやろおおお!絶対復帰してやるわー!」と焼けただれた肺から膿を出す手技や、顔の手術などの苦しい手術を乗り越える。
 そして、第13戦。イタリアグランプリで奇跡の、戦線復帰を果たすのである!


 ニキを見返したかったハント。その男を不屈の魂で見つめるニキ。二人の決着はシーズン最終戦。日本の富士スピードウェイで行われるF1選手権 IN ジャパンで着けることになったのである。


 レース場で絡まるふたりのレース運びをまるで人生そのもののように描くロン・ハワード監督の手腕も上々。テンションが決して下がらない編集の見事さもさることながら、レースシーンへの時間の緩急の付け方が絶妙で、ふたりの集中が高まるほどに世界はよりゆっくりと動いていく。集中が高まるほどに世界は静止に近づいていくという演出もみごとに利いていて、身を委ねているだけで、二人の間にある「なにか」に触れることが出来る。


 魂と魂が激しくぶつかり合い、互いに高め合った6年間。そこで生きた生こそが、ふたりの人生の中でかけがえのない大切な時間であったことを、ロン・ハワード監督は真摯に、そして大胆に描ききった。この映画に刻まれた、35年以上前の瞬間ひとつひとつが、今もなお私たちに、イキイキとした「生」を感じさせるのである。大好き。(★★★★☆)