虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「カーズ2」

toshi202011-08-04

原題: Cars 2
監督:ジョン・ラセター
共同監督: ブラッド・ルイス


 思えば、前作「カーズ」は変な映画だった。

 5年前に前作を見た自分の感想*1を引っ張り出して読んでみて、あ、そうだそうだ、と思い出したんだけど、あの時も、すごく変な映画だと思ったんだった。
 車だけの世界。車が魂を持ち、なおかつ社会の一構成員として、「生きている」世界。
 そんな世界を演出と脚本と、作り込まれた画のチカラで押し通してみせてはいたが、ジョン・ラセター御大が、虎の子である「トイ・ストーリー」シリーズではなく、こちらで監督復帰するとは思いもしなかった。


 で、本作。


 いきなり車がスパイそのものになる、という、ボンドカーにボンドの人格が乗ったような車が、悪党相手に大立ち回りするシーンから幕を開け、やがて、前作の主人公、ライトニング・マックイーンと、本作の実質上の主役・メーターが、ひょんなことから、この争いに巻き込まれていく。
 マックイーンは前作でレーサーとして華麗な復帰を果たして以降、ラジエーター・スプリングスを本拠地に置きながらも世界を転戦し、華々しく活躍する、世界的なレーサーになっている。彼の親友となったメーターは、ラジエーター・スプリングスで、レッカー車としての仕事を楽しくこなす日々だ。
 マックイーンが久々のオフで、ラジエーター・スプリングスに戻っていたが、イギリスの富豪(やっぱり車)が開催するガソリンに替わる代替エネルギーを使ったレースを催され、メーターがテレビ番組に電話をかけたことがきっかけで、そこに参加することになる。普段はメーターをレースに連れて行かないマックイーンだが、自分が参加するきっかけとなったこともあり、メーターをレースにスタッフとして参加させることにする。


 だが、そのレースに絡んだとんでもない陰謀が進行しており、それを察知した諜報員に仲間とカンチガイされたメーターは、スパイとしての大冒険を始めることになる。



 アクションに継ぐアクション、作り込まれたレースシーンなど、ピクサーの画つくりは見事の一言で、美麗なCG、美しい背景、洗練された演出は本作でも健在・・・ではある。
 前作が、映画としてギリギリ成り立っていたのは、舞台をアメリカに限定していたからだと思う。車がないと社会生活がままならない、車社会のアメリカで、社会が発展し、高速道路が重宝される中で取り残された町、ラジエーター・スプリングスを舞台にしていたからこそ、車を擬人化させたことの意味や、「忘れ去られた町」ラジエーター・スプリングスと、世界的レーサーマックイーンとの邂逅と、その町を舞台にした彼らの成長の物語が、カタルシスを与えていたわけだが。


 本作では、前作とは一転、脳天気なメーターを前面に押し出して、「平凡な男がスパイに間違えられる」という「北北西に進路を取れ」的な物語を、舞台を世界中に押し広げたコメディアクション娯楽大作として落とし込んでいるわけだけれど。しかしまー、あれだ。ここまで趣味的な内容を、このトンチキな世界観にかぶせていく、というのはかなり無茶だな、と思いながらみていた。
 擬人化された車、船、飛行機・・・というのはまあいいけれど、世界観をこの現実の世界のパロディ世界として押し通しつつ、スパイ映画もどきのストーリーにしていくわけだけれど、車により構成された社会、というものをきちんと明示するロジックが完成されていないにも関わらず、いろんな国にも、この「現実世界」のような社会が成り立っている・・・というのはどういうことなのか。
 どうにも僕には、まるで悪夢のような世界にみえた。


 いや、本来ならばそこまで考える必要はない映画なのかもしれないが、車という、本来無機物であるものを、有機的なものとして捉えるには、いろいろ物語上の手続きがいるはずで、そこをすっとばしたまま、現実世界のパロディ的な世界観の中で、娯楽アクションを撮ってみせたとしても、地に足つかない、というか地にタイヤのつかない物語になってしまう。大体、車がジャンボジェット機に載ったりするけど、なんでジェット機まで有機物扱いになっているのか。そもそも車たちにジャンボジェットが作れるのかYO!
 ピクサーの作品は、CGが年を追うごとにリアルになりつつあるぶん、年々、物語まわりが重くなってきていたのは僕も感じていて、ジョン・ラセターとしては、もっと脳天気な物語へのシフトチェンジを計りたかったのではないか、という邪推もあるのだが、それにしても、今回の話はいくらなんでも脳天気が過ぎる気がした。


 決してつまらない映画ではなく、ピクサーの実力を感じるには十分な娯楽映画ではあるのだが、
 このような物語にするのであれば、車が社会構成員として生きる社会構造というものを作り込むことが、続編をつくる段階での急務ではなかったか。車と社会の関係を描かずに、現実社会がコピーされた世界観で、脳天気なスパイ娯楽アクションを描かれても、物語がリアルに響いてこない映画になってしまうことを、はからずもピクサーの御大みずからが証明してしまった気がする。(★★★)