虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「星を追う子ども」

toshi202011-07-20

監督・原作・脚本:新海誠


 新海誠が、昔見たジブリ作品へのオマージュを捧げつつ、死者を蘇らせるために異世界へ旅立った少女といい歳したおっさんの流浪を描くファンタジー


 テアトル新宿で見たけど。まー・・・ビックリするくらい鑑賞が苦痛。
 俺、総じて新海誠が苦手と広言してきたし、もうあの自意識とプライドが高い初恋物語を、モノローグを連発するあの映像美溢れる映画が、苦手でしゃあないけれど、それでもですよ、「苦痛」というよりはこう、「うわーうわーやめてー!恥ずかしい!恥ずかしい」と身もだえる感じで、それはそれでのけぞりながらも、それなりに楽しんで(楽しんでたんかい!)観ていたわけですけど。
 今回は単に「つまんない」以外の何物でもない、というのがまずあって。


 なにがつまんないって、まず、シナリオ。キャラの台詞がひとりごとに近い。自分で了解していることを、ただ口に出すというタイプの。例えば、「世界観の設定」があって、例えばさまざまな独自の固有名詞があったり、世界観のルールがあったりするわけですよ。
 で、キャラクターの言葉のキャッチボールがなってないので、それをきちんと「人」や「モノの効果」や「説明」を行わず、ただ独特の固有名詞の入った、手前勝手な思いを吐露する台詞を、ただただ垂れ流していくわけ。あほかと。こっちはなにもわからんっちゅーねん!普通はさ、そこに分からないなりに、ストーリーにミステリーが発生すると思うんだけど、ものすごく思わせぶりなだけで、そこにミステリーが発生しない。だって、こっちは「何言ってるの?」と思ってるのに、観客の依り代たるヒロインはただ「聞き流してる」だけで、その後なんんのフォローもないの。バカか。
 わかりやすく言えば、原発事故が起こった当初の東京電力の会見みたいなもんですよね。いろいろ専門用語が出てきて、視聴者意味わかんないのに、マスコミの方々は質問せずに聞き流して総スルーという。結果、誰にも事態を把握できないまま、事態はどんどんあらぬ方向に進んで行ってる・・・っていうね。


 だから、思わせぶりなことをいう人々の、台詞の洪水を観客は見ながら「ぽかん」としてるしかないという感じで。まー物語に入り込むどころか、何も心に響かない台詞が、ただただ滝のように流れてくる。
 で、まあ、アニメーション演出は、今までの新海作品にはなくて、なおかつ某スタジオ作品によく見られるような、どっかで見たことある設定とか、どっかで見たことあるシーンとかを切り貼りしたような演出が頻出するんですよ。まー、パクリっていうか、オマージュですよねオマージュ。オマージュ多すぎてげっぷするくらい。


 でまあ、なんつーのかな。新海監督らしさが出てるのは、登場人物がつまらない日常や「コミュニティ」から逃避して、ここではないどこかで、「今よりましな何か」を探しにへ行こう、みたいな話なんですよ。でも、登場人物がそうじてコミュニティではぐれモノばっかりだから、別世界に行っても、コミュニティに入り込めるわけもなく、ただただ流浪していくだけなんですよね。
 ジブリ作品をもしもめざしているのなら、コミュニティへの「活気」や人間への「希望」を描くはずなんだけど、そんなものは微塵もなくて、そのくせ演出や台詞がところどころ「ジブリっぽい何か」を再現したりするもんだから、ちぐはぐなことこの上ない。
 で、結局別世界には僕らを救うモノなんて何もなかったから、現実に帰ってきました・・・って話なんですよ。何じゃあそりゃー!


 もう、久々に「これぞ失敗作」という見本のような映画を見たので、ここまで全力ですっ転んでると、いっそ清々しいね。頑張って作り上げたことは伝わってくるし、新海監督の背景の美麗さは健在なので、久しく全力の空振り三振を見てないなー、って方には、オススメです。(★★)