虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「フロスト×ニクソン」

toshi202009-04-04

原題:Frost/Nixon
監督:ロン・ハワード
脚本・原作:ピーター・モーガン



 デヴィッド・フロストが最初に望んでいたもの。それはとあるレストランのVIP席だった。



 フロストはある野心を持っていた。彼はなんとかアメリカへ帰還したかった。アメリカへの進出に失敗して以降、彼はイギリスとオーストラリアで人気司会者として顔が売れるようにはなった。イギリス国内で賞をいくつも獲った。だが、フロストは満足していなかった。これでは足りない。もっと。もっと大きな「何か」を、彼は欲した。やはりアメリカで成功するしかない。そうすればきっと・・・。

 そんな時、テレビの収録後に行われているリチャード・ニクソン大統領辞任のテレビ報道に接する。なんの気はなしに、彼はその映像を眺めていた。笑顔で聴衆に愛想をふりまくニクソン。彼が建物へと退場する刹那、一瞬彼にえもいわれぬ表情が映る。その瞬間、フロストは言う。「視聴者の数を調べてくれ。全世界のだ。」

 ノンポリ。投票にだって一度も言ったことはない。政治に一切関心がない。人好きのする容姿で芸能界を渡り歩いてきた男。

 そんな男が、なぜニクソンにインタビューするに至ったのか。それは直感だったのではないか。とこの映画は示唆する。フロストとニクソンをつないだのは、笑顔を振りまいた後に映し出された刹那の表情だった。その一瞬見せた「感情」に、彼は覚えがあった。彼はこの直感にすべてを賭けた。



 すべてのコネクションと財産を賭けて、「民主主義の敵」ニクソン口説き落とし、インタビューし、彼から「真実」を引き出す。そして、全世界が見たがっている彼の謝罪を。



 えー。



 フランク・ランジェラほど、保守的で老獪な役を演じるのにうってつけの役者はいない。と僕は思っていた。

 僕は「デーヴ」という映画が大好きで、ついつい何度も見てしまうくらい好きだ。大統領のそっくりさんで物まねが得意で人好きのする平凡な男が、脳溢血*1で植物状態になった大統領の影武者としてなかば強制的に連れてこられ、「代役」として大統領としての職に就くことで、やがてアメリカを少しずつ変えていこうとするが、やがて、その「冒険」に終わりのときがくる。その異世界を我が者にしようとするのが、影武者作戦の発案者でもある首席補佐官であった。この映画で、彼が「本物の大統領」の汚職を告発し、自らが大統領になろうと画策するのだ。言ってみればホワイトハウスを「異世界」に見立てた政治ファンタジーであり、そのラスボスともいうべき主席補佐官を演じていたのが、フランク・ランジェラだった。

 そのフランク・ランジェラが大統領、ニクソンを演じる。それを知って、俄然この映画が楽しみになっていた。僕にとっては「ビンゴ!」としか言いようもない配役である。



 アメリカは「異邦人」が常に新風を入れてくることで起こる「チェンジ」を、受け入れることが信じられている場所である。ニクソンもまた、「チェンジ」を求めていた。講演で冷たい視線を受けながら逸話を延々と話す日々に飽き飽きしている。できることなら現役復帰を果たしたい。そのためには、現状に変化をもたらす必要があった。勝つか負けるかは問題ではない。戦うこと。全力で戦うこと。それこそが生きることだ。そう、ニクソンは言う。

 そんな時フロストがエージェントを通してインタビューを打診してきた。イギリスのバラエティの司会者。オファー額は三大ネットワークよりも高額の60万ドル。うまくやれば一発逆転、自分のイメージ回復を施し、現役復帰も近づく。今、この、どうしようもない、クソみたいな現状から逃れるためには、最高の相手。

 こうして、疑惑の真っ只中にいる元大統領と野心を心に秘めたイギリスの一司会者の、自らの人生を賭けた「インタビュー」という名の決闘が幕を開ける。



 「デーヴ」も、大統領に似ているだけの異邦人がホワイトハウスという異世界に風穴を開ける話だったが、「フロスト×ニクソン」もまた、政治世界にうとい英国人素人が、アメリカの政治世界で長くディフェンディング・チャンピオンだった老獪な男にKO勝利を試みる、というまさに「素人対玄人」の語る格闘技である。

 本来なら勝てるはずのない戦いである。インタビューは4日間、いわば4R勝負である。そこに契約でテーマが割り振られており、目当ての「ウォーターゲート」の話は最後の4日目に割り振られた。

 ゴングが鳴ってすぐ、フロストは果敢な攻めを行うが、のらりくらりとかわしていく。政治に対する、普段からの積み重ねがない男と政治世界の真っ只中にいた男では、力の差は歴然、フロストが攻めても華麗にかわすか、見事な切り返しでねじ伏せるニクソン。3日目までのインタビューはまさしく、ニクソンの思い通りだった。

 「ニクソンの名誉を回復するようなことがあったら、それこそ犯罪だ。」とフロスト側のブレーンであるジェームズはフロストに言ったが、まさにその、最悪な事態が目の前で進行していた。資金調達もうまくいかず、自らの力不足を認識し、深い後悔の念に駆られるフロスト。



 そんなフロストの元に1本の電話が鳴る。



 この電話は本当だったのか、彼が聞いた幻なのか。この映画ではぼやかされているが、この電話でのやり取りが、フロストの精神を「絶望の向こう側」へと導く。「本来の彼は負けず嫌い」。恋人ははたびたび劇中で挿入される5年ほど後のインタビューで答える。その「負けず嫌い」が土壇場でよみがえる。彼は猛然と資料を読み返し、あるほころびを見つけ出す。

 そのほころびを、彼自身が培った話術で突破し、風穴を開けたとき、ニクソンが辞任以降抱えていた、誰にも癒せぬ「孤独」、本来の理想像から転げ落ちていく自分を別の角度から眺めているもうひとりの自分。そんな「怪物」の奥に秘めた、本来持っていたはずの「人間性」をフロストは闇から光の下へと引きずり出すのである。



 「デーヴ」で、フランク・ランジェラ演じる首席補佐官は「影武者大統領」デーヴの「捨て身」の逆襲に遭い、彼自身の政治生命をも絶たれてしまう。僕はあの時、デーヴに感情移入しながら見ていたので、勝利を確信していたフランク・ランジェラが飾り付けのされた部屋でひとり呆然とイスに座ったまま動けない姿を、「ざまあみろ!」的な感じで見つめていた。

 しかし。今、その場面を思い返してみれば、別の感情が浮かんでくる。政治に人生を賭けた男が、すべてを失った、深い喪失を。そして、本来の理想から遠く離れてしまった自分への、嫌悪の情を。



 この映画の原作は、この映画の脚本も担当しているピーター・モーガンの戯曲だという。原作の演劇ならではの虚構性と、原作者によって脚色された映画ならではのリアリティをバランスよく獲得しつつ、フランク・ランジェラの存在感によって、失職後のニクソンが抱える「なにか」へと深く切り込んだ、ロン・ハワード会心の一本となった。(★★★★)