虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「チェ/39歳 別れの手紙」

toshi202009-02-12

原題:Che: Part Two
監督・撮影:スティーブン・ソダーバーグ
製作:ローラ・ビックフォード、ベニチオ・デル・トロ
脚本:ピーター・バックマン


 静かに。ただ静かに。彼は革命そのものになっていく。


 エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナについての二部作。その後編。


 この二部作に弱点があるとするなら、それは彼自身の「革命へと向かう」心はどこからくるのか、ということを描かなかったことにあり、それは、つまり、作り手の意図はとうあれ、観客に「ゲバラ」への安易な共感を生まないための作劇のように感じるのである。
 この映画がひとつ、すっぱりと切ってしまったもののひとつにゲバラキューバで動いた「政治」の世界の話である。


 思うに。彼が再び政治の世界からすっぱり足を洗い、家族や国や、友に別れを告げて、「革命」に身を投じるまでに、彼には色々なことがあったはずである。
 ゲバラの映画を見て、なんとなく思い出した人物は西郷隆盛だったりする。ゲバラについて詳しいわけではないので断言できないけれど、カストロゲバラの関係はどこか、大久保利通西郷隆盛の関係に近いのではないか、と思う。西郷隆盛が政治の世界に別れを告げ、やがて結果的に「西南戦争」を起こしてしまったように、政治家として優秀なカストロと、勤勉だけれども融通の利かないゲバラが、親しい友でありながら、結果的にゲバラを再び「革命の夢」へと思い詰めさせてしまった過程があったはずだが、この映画はそこには一切触れない。
 ただ、決定的に違うのは、西郷隆盛はあくまでも「同胞」や「生徒」をおもんばかって、かつての親友と「敵味方」になってしまったのに対し、ゲバラは革命の夢を持って、他国へ渡り、カストロはその支援に回ったことである。


 かつての「革命の熱狂」を世界へ。その途方もない夢。だが、彼はその最初の一歩、コンゴ共和国でいきなり頓挫し、1年後にキューバに帰還。そしてカストロのすすめで、ボリビアへと渡る。
 だが、ゲリラ戦で協力をとりつけていたはずのボリビア共産党が、その約束を反故にしたことで、ゲバラは補給方法を絶たれ、やがてゲリラ隊の士気は、急速に奪われていくことになる。なぜそんなことになったか、と言えば、共産党に多分に影響力のあったソ連が、武闘路線に消極的であり、なおかつ、ゲバラキューバで、ソ連キューバに対して影響力を持ち始めたことに対して、反抗していたことも、遠因にある。


 彼が思う以上に、英雄・ゲバラの「虚像」は良くも悪くも影響力があり、彼のかつての武闘路線を実践することへの障壁となっていく。彼の「成功例」が広く各国に伝播し、民衆は彼をおそれて距離をとり、キューバの二の舞を防ぐ対策を、ボリビア政府がきっちりとっていたことも、ゲバラの敗北につながっていく。
 この映画が、そういう「虚像」としてのゲバラの影響力には一切の説明を省いたのは、結果的にゲバラが「革命には勝利か死か、その2つしかない。」というかつて自分が言った言葉、殉じて行かざるを得ない状況を切り取ることで、そこに「革命家として純化されていく存在」としてのゲバラを映し出そうとする、意図があるように思う。


 思うに。「28歳の革命」を見た時も思ったが、この映画は決して「革命せよ」と促す映画ではなく、一個人・エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナの生と死を、リアルに切り取ることで、英雄と呼ばれた男と対峙しようとする試みである。
 だが、2部作を通して見た時、彼は「あたくし」なんぞが軽々しく共感できるような、そんな存在ではなく、まるで「殉教者」のような純粋さで、青年時代の夢に殉じた「革命の化け物」のように感じた。静かに静かに描けば描くほど、その「青く、静かに、熱く」青き炎のごとく燃える魂の存在を感じざるを得ない。
 だが、その炎がどこからくるのか。そのゲバラのこころの機微を、この映画は伝えない。だから俺には、彼が「怪物」に見えるのだ。


 人々が彼に惹かれるのは、一度「国を変えた」ほどの勝者でありながら、やがて成功に甘んじずに行動し続け、敗者として歴史の舞台から消えていく、その精神性ではないか。彼の敗北への道は、「成功させた」という自負とその記憶は、誰よりも鮮明に心の中にあり、その日々にこそ未来があると、信じたことにあるのではないか、と思う。


「バカらしいと思うかもしれないが、真の革命家は偉大なる愛によって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家を想像することは、不可能だ。」


 かつてインタビューでそう言い切った男。時代に愛された男。そして真の革命家を目指した男。
 だが、かつての人類への愛を抱え、その愛に突き動かされ、その愛は時代とともに裏切られる。革命の光と闇。ここまでくっきりとした明暗を体感した人生。
 そこには「純化した愛」を持って行動した者しか体験し得ない光と闇、うたかたの夢と、その現実の落差を、この映画は二部作を通して、くっきりと映し出している。「生きるか、死ぬか」。そこまで自分を追い詰めて革命に臨み、そしてそのまま突き進んで散った、男が死に際にみる夢は、かつて自分が、青雲の志を胸に30人の仲間とともにキューバへと渡る、自分の姿である。そう、この映画はまとめる。


 そこにあるのは、敗北者の無残な姿ではなく、死してなお人々を魅了し続けた男の魂がある。でありながら、この映画は司馬文学のような、「敗者への圧倒的共感」などというセンチメンタリズムはない。ただ、生と死がある。物語としての昂揚はないが、安易な共感を拒んだ映画だからこその、迫力に満ちている。(★★★★)