虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「八日目の蝉」

toshi202011-06-06

監督:成島出
原作:角田光代
脚本:奥寺佐渡



 衝動というものは、ふいに訪れる。
 その衝動がどこからきたのか、本人にはわからない。理由になる出来事はいくつあるけれど、そのどれが明確な理由としては、説明がつかない。ただ、その子が彼女に笑いかけた。そして、その子を抱きしめる。ふれ合い、柔らかな温もりを感じる。
 その瞬間、彼女の中でなにかが弾けた。それだけは間違いがなかった。物語は、その衝動がすべての発端である。


 十数年後。
 少女には愛された記憶がなかった。ものごころついたとき、彼女は「よその家」にいた。「私の家」ではない、どこかよその家に。「両親」だと名乗る二人のおじさん、おばさんの家にいる。「母親と名乗る人」は彼女がなにか言うたびに、泣き叫び、恨み、怒り、悲しんだ。彼女は、ただ謝ることしかできなかった。誕生日も、クリスマスも、なにも祝わない。そんな家に育った彼女は、大学に入学すると、その家を出て、自活を始め、やがて一人の男と交際した男性は、妻子ある男性だった。
 彼は、彼女の人生になかったものを教えてくれた。自分を許すこと。褒めること。祝うこと。愛されること。彼女は、自分を好きになっていいんだ、と彼を通じて知った。そして、少女は身ごもった。少女は産む決意をし、男性に妊娠したことは告げずに、ただ、別れを告げた。
 少女は、自分が「あの女」と同じような道を歩んでいることを知っている。


 「赤子だった自分を誘拐した」あの女と同じような人生を歩んでいる。


 少女はやがて、ライターと名乗って彼女に近づいてきた女性とともに旅に出る。自分を誘拐した女が、「私」とたどった道を。



 人は常に満たされることはない生き物だと思う。渇望して、渇望して、渇望する。自分の人生のすべてに、満足することは難しい。満たされない心を、人は「なにか」で埋めようとする。この映画に出てくる登場人物、とりわけ女性達は、みな、「満たされることのない空洞」を抱えながら、生きている。


 この映画が描くのは、別の時代を生きる、ふたりの女性の、「満たされないはずの空洞を埋める旅」である。


 この映画の「物語構造」のうまいところは、「私は普通の家では育たなかった。」という女性を複数登場させている点にあると思う。「普通の家族」とは、つまり、親が子どもを愛している、普通の家庭、という意味ではあろうと思う。
 しかし。「普通」とはなにか、というと、「となりの芝生ってうちより青いよね。」という感覚で言うところの普通である。どこの家にも、それぞれ「普通じゃない」側面はあるもので、そもそも「普通」とは自分の家族に「欠落」したものを持つ「他の人間」を指しているのである。この、人間が持つ、緩い意味での「普通/普通じゃない」という感覚を、この映画は巧みに使っている。
 「私は普通の家庭に育たなかった。だから私は、普通じゃない」。このレトリックが、物語の導入として観客の感情にするっと入り込み、共有される。誰しもが「欠落」した思いを抱えながら、日々を生きているからだ。


 それぞれに井上真央演じる少女は「何か」が欠落した世界に住んでいた。そして、自分には他の人にはあるべき「何か」が欠落している。それは「愛された記憶」。そして「愛する記憶」。
 かつて、物心つく前、少女と同じ「施設」で姉妹同様に育てられたという自称ライターの女性は、極度の男性恐怖症で、どこかつねに外界でおびえているようにも見える。


 わたしたちは、常に満たされることはない。何かを得れば何かを失ったりする。いつも、なにかが欠落している。
 人は、その欠落をつねに別の何かで埋めようと考える。


 そして少女はたどりつく。かつて、彼女が「あの女」といた町へ。


 かつて、一人の女性が、みずからの心の空洞を埋めるために、衝動的に犯した犯罪は、「他人の子どもに愛情のすべてを注ぎ込む」ことだった。そして、その時間は、おそらく、彼女の人生の中でもっとも、尊い時間だったにちがいない。
 その「時間」を共有していたはずの娘は、長い期間、「愛」を知らずに生きてきた。かつて「愛された記憶」に罪悪感を感じて、押し殺して生きている。今も、自分は「愛されるべき存在」だったことを知らずにいる。しかし、ある場所へ訪れた瞬間、彼女の中に、関を切ったようにあふれ出す。


 時間を超えて、二人の女性が同じ場所に立ったとき、別々に語られていた物語は、鮮やかに一つの物語として収れんされる。とある場所の、暗闇の空間で浮かび上がる、かつての記憶。それは少女の中の「空洞」を急激に満たしていく。永作博美の歩んできた「旅」そのものが、井上真央演じる少女の求めていた「何か」と見事にシンクロする鮮やかなラストに、涙を禁じ得なかった。
 まぎれもない傑作である。(★★★★★)