「グリーン・ゾーン」
原題:Green Zone
監督:ポール・グリーングラス
原作:ラジーフ・チャンドラセカラン
脚本:ブライアン・ヘルゲランド
この映画は、イラク占領下、「大量破壊兵器」を探さなければいけない兵士が、その裏に潜む真実に近づいていくポリティカル・サスペンス活劇である。
グリーン・ゾーンという、かつて連合国暫定当局があったバグダード市内10kmにわたる安全地帯のことである。ここを物語の中心として、機能される。ここに関わる人間は、国からいわゆる「反米」とされる人間は決して入れない仕組みになっている。それは軍人、マスコミ関係者といえど同じ事だ。ましてやテロリストなど入る余地はない。かといってそこがイラクにおける完全な「安全地帯」とは言えないのだが、少なくともテロの脅威からはかなりの確率で免れるような場所だ。
そこには「米国」が「愛国者」として認めない人々しか入れない場所。そして彼らは、それぞれに「彼らなりの愛国」心を持ってそこにいる。「グリーン・ゾーン」とは愛国という観点に照らして「グリーン」な人間が入れる、「愛国者たち」だけで構成された地区なのである。主人公・ロイ・ミラー准尉も、愛国心から彼の地の任務を受け入れたに違いないのである。
「イラクが開発し、隠蔽した大量破壊兵器を捜索せよ。」。戦争のすべての元凶を探す任務。彼はその任務に全力をもって当たったろう。
しかし、彼が誇りを持って成し遂げようとした任務は、すべて誤情報にもとづくものであった、ことを知る。失望に駆られたミラー准尉は、もやもやとした国への疑念を晴らそうと事の真相に近づこうとする。
さて。
ポール・グリーングラスはエンターテイメントという枠内にくるみながらも、リアリティを極限に追求する名匠として名を馳せた人であり、今回はその手法を押し広げ、「個人」が戦場という「世界」の只中に置かれる状況を、見事なバランスで描いてみせて、その点ですでに圧巻なのだが。
問題は。この映画が「サスペンス」として追い求める真実が、観客である私たちにとって「自明」ということである。そしてそれは、物語る縦糸としてはあまりにも不安定なものであり、物語の求心力が下がる危険を伴う。だが、それでもなお、娯楽映画というベースであろうとも、作らねばならない、焦燥が作り手にあるのだろうと思うのだ。
その政治的義務感こそがこの映画を、多少窮屈なものにしている気がする。結論はすでに観客に解っている。それでもなお、この映画が描きたかったものは、「何故それでもなお、嘘情報による戦争があり得たのか」ということだろう。
あるべき道を求めるアメリカ人兵士と、みずからの故国をもう一度取り戻したくて情報を米軍にたれ込んだイラクの青年。彼らが出会うことで、真実へと向かう物語は動き始める。
仮想敵を見つけてはそこへ突き進まねばならないアメリカという国家の性質と、その一部となることに誇りを持って生きる人間がいる。しかし、それらの通った道には、犠牲者たちの群れがある。愚にもつかない嘘情報に載せられた記事を自分は書き続けた挙げ句、世論を「戦争」へと導いたのかもしれないという疑心に駆られ、その真偽を確かめようとする女性ジャーナリスト、破壊兵器の存在が嘘であるにも関わらず真実であるかのようにのたまう国防総省に疑念を抱くCIA職員。観客にとって「自明」である真実を求める人々は、その「真実」に惹かれるように出会い、協力し、真実に近づいていく。
彼らはやがて、気付く。我々の敵は「我々」の中にある。「国のため」という大義名分が、彼らの目を曇らせていたことに。
本当の「愛国心」とはなにか。それは、盲目的に国を信じることにはあらず、国をあるべき流れに戻そうとすることである。この映画のラストは、闘いの果てにわずかながらにつかみ取った真実をもとに、真の「故国への愛」を元に動き始めた彼らの姿を映し出して終わる。彼らの闘いはむしろ、ここから始まるのだろう。(★★★☆)