虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「第9地区」

toshi202010-04-27

原題: District 9
監督: ニール・ブロムカンプ


 もしも宇宙人が地球にいるのならば。それはどういう社会になるのだろうか。



 よく暇ネタやオカルト雑誌で扱われる「UFO」が実在するものであった場合、描かれる方法は二つに分かたれる気がする。一方は人類に宣戦布告、侵略を開始する「侵略」モノ。もう一方は、宇宙人は我々の中にすでに入り込んでいて、地球の文化になじみながら社会に潜んでいる、「人類社会と共存する宇宙人」モノの二つだろう。そして日常とともにある「宇宙人」を描くSFというのは、大抵「宇宙人が社会に潜伏している」という発想から発展させていく。
 しかし。実際に考えてみれば、そこまでして地球に来る理由とはなんなのだろうか。とも思う。


 この映画はそんな「日常/人類社会と地続きにある宇宙人」モノとしてはコロンブスの卵的な発想の映画なのではないか。


 この映画では巨大UFOを1980年代に南アフリカに飛来させ、奇しくもかつてアパルトヘイトが存在した地に、新たな差別構造を生み出すことで、人類と宇宙人を混在させる。
 黒船(UFO)飛来から約20年。「女王蜂」を失った「働きバチ」のように、命令系統を失った宇宙人たちは地球に降下し地上にとどまりつづけたため、人類は彼らを人間と隔離するために「第9地区」という特別居住区を設立し、そこに宇宙人達を押し込めた。「第9地区」はやがてスラム化し、宇宙人による犯罪や、彼らを食い物にする(いろんな意味で)ギャングたちが跋扈するようになった。


 アパルトヘイトを持ち出すまでもなく、日本でも黒船来航以降に起こる外国人排斥運動、いまなおネットにある、「嫌韓/嫌中」など外国人を「異物」と感じて「排除」したくなる感情や、沖縄の基地移転問題という「我々の国を守ってもらいたいけど、我々のそばにはいてほしくない」という「自分と違うモノを持つ人間」に対してねじれた感情を、人種を問わず有しているのが「人間」という生き物である。ましてや、相手は宇宙人。しかも見た目は「海老」に近く、実際ほ乳類ではなく甲殻類の進化形であるらしい。
 そんな「自分とは違う生き物」を忌避する感情を持つ反面、理想や信念、思想によって緩和できるのが人間でもある。こうして「人類社会」の中では差別構造は少しずつ少しずつ、一歩一歩解体されてきていた。はずだった。そんな現代に、「海老」に似た宇宙人がやってきたわけである。それは、いままで和らいてきていたはずの、人類の「差別感情」を新たに掘り起こす結果となったわけである。。


 「海老」星人たちはオーバーテクノロジーの兵器やら乗り物を有しているが、彼らはそれによって蜂起しようとはしない。ただ第9地区を縄張りとするギャングたちに売って日々の糧(猫缶)にするだけである。しかし、その武器は「海老」のDNAによってのみ使用可能になる機構が施されていて、人類には扱うことができない。


 そんな「もしも1980年代に宇宙人が飛来したら」というパラレルワールドな社会の中で、彼らのオーバーテクノロジー兵器を自分たちのものにしようとする企業・MNUの末端にいた青年に起こった出来事と、彼についてのテレビ番組を混在させながら描いたのが、本作である。
 とにかく序盤に、「第9地区」の社会構造を浮かび上がらせる描写力が卓越している。多くのインタビューと、MNUから異星人を新たな隔離地域「第10地区」への移送計画の責任者となった主人公への「密着取材」から描いていく、という手法が見事。そして、密着取材の中で、主人公は海老星人たちの武器や様々なアイテムを押収していくのだが、その過程である彼は「謎の液体」を浴びてしまう。それは「浴びるとDNAが海老星人へと書き換えられる」ものであり、同時に「宇宙船」の貴重なエネルギー源でもあった。


 主人公は基本的に「一企業の一サラリーマン」であり、企業の方針にはなんの疑問も持たない男であり、よって考え方も「企業」の考え方と変わらない。だから、宇宙人への差別も、その感情による虐殺・虐待行為の数々も、特に疑問に思ったことはない。しかし、彼は自身がほとんど強制的に「海老」と「人類」のハーフになってしまったことで、「被差別」側の痛みを知り、自分が属していた企業が何をしていたのかを知るのである。
 海老星人のDNAを持った人類(異星人の武器を使える人間)という貴重な存在となり、サンプルとして解剖されることを知った主人公は、すんでのところで難を逃れ、脱出する。人間社会から居場所をなくした主人公はやがて、人間社会とは無縁の第9地区へと逃げ込むことになるわけである。



 この、長いけれども一切の無駄のない描写力によって、物語の舞台設定と、お膳立てが語り尽くされ、一人の青年が、自分が「別の生き物」になっていく恐怖、愛する人と引き裂かれる恐怖におびえながら、やがて、社会へと帰るための「たったひとつ」の希望であり、すべての「元凶」でもある「液体」を取り戻しに、一世一代の殴り込みを掛ける。
 自分たちの帰りたいけど帰れない海老星人・クリストファー親子の気持ちに、愛する人の元へと帰りたい主人公は激しく共感し、彼らは「自分たちにしか使えない武器」を頼りにMNUへと乗り込んでいくのであった。


 地に足ついた描写で、28年間に起こった出来事とそこから生まれた社会という大状況を描きながら、同時にそんな世界で「異星人」とのハーフとなってしまった一サラリーマンである主人公が、愛する者のため、そして「異種」の「相棒」のため、人類に闘いを挑む大活劇へとつながっていく、そんな物語を2時間以内で描ききってしまう手際はあまりに見事で、ニール・フロムカンプという巨大な才能に驚嘆する大傑作でありました。(★★★★★)