虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「銀色の髪のアギト」

toshi202006-01-09


 監督:杉山慶一


 ボーイとガールがミーツする王道なストーリーと、世界がなんやかんやで崩壊した後の世界、という「ナウシカ」の世界で「ラピュタ」やってみました、みたいな、明快なコンセプトを宮崎駿の才能に遠く及ばない監督によって生み出されたファンタジー。身も蓋もないけど。


 演出はね、及第点だと思いました。とりあえず、宮崎あおいはヒロインとしての面目は十分に保ててたし、特に退屈と思う箇所はなかったんだけど、ただ、結局のところ問題を抱えているのは、提示すべき「世界観」が貧弱に過ぎる、ということだと思う。


 この映画の世界では「森」は自身を焼こうとする人類に対抗するために進化し、意識を持って人をおびやかす存在となり、そんな森を焼き尽くそうとする「ラグナ」という軍事国家と、そんな森であろうとも共生していこうとする中立都市という、三つの勢力が提示される。
 主人公のアギトは崩壊した世界の中立都市に暮らす少年で、ヒロインは過去(つまり現代寄り)の世界から意識を途絶させる装置のなかで300年も眠っていた少女。で、現代世界とは違う、まったくの異世界を舞台にしている以上、そのヒロインのいた時代、というのが観客の目線のとっかかりであるべきなのだが、どうもその300年前、というのが我々のいる時代よりも後の話で、しかも彼女はこの「世界」の秘密を握っているような描写が現れる。つまり、物語上、彼女はアギトにとっての「神秘を秘めたヒロイン」ということになる。



 とっかかりになるべきヒロインが「神秘」になっちゃうぐだぐだぶり。その上、ルールそのものがまったく違う世界を提示したにも関わらず、社会としての成り立ちがどのようになるかを、この映画は提示できていない。まがりなりにも「宮崎駿」をなぞろうとするなら、「人」と「社会」をつなぐ思想は不可欠な要素だ。ところがその「社会」の成り立ちがどのようなものであるか、明確な思想がうかがわれない。現代ともつながらず、「社会」の形すら不明確。世界の「土台」の部分がガタガタなので、描かれるストーリーまでが地に足つかないものへと変わっていく。


 つーか、遺伝子を操作して植物をあやつろうとした人類の愚かな計画のせいで、崩壊しちゃった世界、とか言われると、なんか、「ばっかでー」としか思えないが。ギャグ?


 社会を脅かす「森」が存在する世界、というコンセプトにも関わらず、最後に奇跡を起こすのは「森」が主人公に与えた力で、倒すべき敵は森を焼き払おうとする過去の人間、と、語り手の方で勝手に混乱しているのも気になる。ていうか、最終的にはなんも解決しとらん気がするのは気のせいか。
 「ラグナ」が滅びたわけでもなく、森の脅威が去ったわけでもない。世界の形は変わらず残っている。ただ、過去の人間の暴走が止まった、ってだけに過ぎない。


 なんとかかんとか今までにない世界を想像しようとして、結果なんとも宙に浮きまくった話になってしまったなあ、と思う。そんな世界を物語ることに何の意味があるだろうか(いやない)。
 物語るべき意志がなければ、映画は生きないのである。(★★)


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