虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「スノーピアサー」

toshi202014-02-07

原題:Snowpiercer
監督・脚本・原案:ポン・ジュノ
脚本:ケリー・マスターソン
原作:ジャック・ロブ/バンジャマン・ルグラン/ジャン=マルク・ロシェット





 映画はある列車の最後尾車両から始まる。


 「地球温暖化を防ぐべく薬品作ったよ!でも、蒔いてみたらちょっと威力が強すぎて地球が凍り付いて、生物みんな死に絶えちゃった!人類ってば、失敗失敗!テヘ!」な世界。そんな人工的に作られた氷河期が続く世界で、人類最後の生き残りの人々を運ぶ列車が走り続けていた。地球が凍ってから、17年もの間地球上を周回し続けているその列車は、すでにひとつの社会を形成しており、最後尾の車両にいる人間たちは社会の最下層の人間として暮らし、最前列には社会の上層の人間たちが住んでいる。恐怖政治と弾圧によって最下層の人間たちの不満は封じ込められ、反抗すれば見せしめが行われる。そんな絶対に覆らぬ格差社会で、虐げられながら生きてきたのだった。
 だが、そんな生活に終止符を打つべく、カーティス(クリス・エヴァンス)をはじめとする最下層の人々は<革命>の機会をうかがっていた。そしてついに、その突破口をカーティスは発見する。人々はついに、最前列の車両に向けて反撃を開始するのだった。



 韓国映画界が生んだ偉才・ポン・ジュノ監督の新作である。
 「母なる証明」以来待望の新作は、SF娯楽大作ということで否が応でも期待が高まる。クリス・「キャプテン・アメリカ」・エヴァンスやオスカー女優でもある黒人女優・オクタヴィア・スペンサー、「リトル・ダンサー」のジェイミー・ベルや「エレファント・マン」のジョン・ハートなどの英国出身俳優たちが顔をそろえるなど、実に国際色豊かな豪華キャスティングである。でありながら、物語の目線は虐げられた最下層の人々が立ち上がる物語になっているあたりは、ポン・ジュノ監督らしさが光る。最後尾車両の貧困と弾圧の前にただ生きるしかない人々を載せた、最後尾列車の言いようのない「どんづまり感」は、社会の最下層の人々の抱える空気をまさに写し取っていて見事である。ゆえに人々は「よりよき世界」を求めて動き始めるのである。
 車両ごとに閉鎖された列車という空間で血で血を洗うアクションが展開し、銃撃戦よりも、韓国出身監督らしいカナヅチや大槌、ナタなどやたら鈍器や痛い系武器が駆使されてるのも面白い。そして車両をひとつ移動するごとに世界の様相が一変する。
 社会の階層ごとに列車が区切られているというアイデアも、列車だけで構成された「社会」を描出する、一種の寓話として撮られてもいるのだろう。ゆえに出てくる暴動を抑える鎮圧軍や、富裕層たちの「おまえら普段どこに寝泊まりしてるんだよ」的な描写へのツッコミは無粋なのだとは思う。
 列車社会の女総理を演じるティルダ・スウィントンの冷酷さとおかしみを同居させるキャラクターや、ポン・ジュノ監督の代表作のひとつ「グエムル」で親子を演じたソン・ガンホとコ・アソンが、再び親子として登場するという「パラレルワールド」的な遊びは大好きである。


 ただ。
 問題なのは、それでも物語が期待したほどにはドライブしないことである。言ってみれば、列車を「社会」や「国家」の映し鏡として捉えるという、映画的にはかなりの荒技に説得力をもたらすには、設定とリアリズムとのバランスが悪すぎるのだと思う。


 この映画の原作は元々、バンド・デシネ(漫画)であり、言わば「漫画的」な戯画化ゆえに成立していると思われる。ゆえにある種の漫画的な世界の「余白」の向こう側に、社会生活への想像力を残してもいるのだと思う。
 しかし、映画という形であまりにもリアルに「列車」として描かれると、それは「社会」の「余白」を想像する余地を打ち消してしまう結果になっているようにも思う。ポン・ジュノ監督の描く列車はまさに「列車」そのものすぎて、それゆえに、富裕層側へと列車を移動するごとに現れる「人間」たちの「余白」があまりにも希薄なのである。彼らはどこで生活し、どう生きてきたのか。しかも17年間も。その余白があまりにもない。
 いっそカーティスたちの前に現れる敵や上流階級の人々を記号化し、もっと馬鹿馬鹿しく突き抜けたB級娯楽大作に仕立て上げていたなら、この設定でも文句はないのだが、ポン・ジュノ監督が演出したキャラクターには生々しさが多分に描出されており、やがて終盤、この映画全体が社会批評的な目線で語られた物語であることが示されるに至ると、リアリズムと漫画的な世界設定のバランスはいよいよ崩れてくることになるのである。


 もっと考える余地をなくして娯楽映画として突き抜けたものになっていたならば、この映画はもっと「メチャクチャだけど面白い」映画になっていたかもしれないのだが、結果としてはアンバランスなまま収束していく形の映画になってしまったのは、非常にもったいないと思いました。(★★★☆)