虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「母なる証明」

toshi202009-11-09

原題:Mother
監督・原案:ポン・ジュノ
脚本:パク・ウンギョ、ポン・ジュノ


 吾輩は母である。名前はもう無い。


 息子にトジュンという、それはウツクシイ一人息子がいる。私の名前を強いてあげるなら、「トジュンの母」である、息子の目はクリクリっとした奇跡のような美しい瞳をしている。その瞳は映画スターのなんとかビンという男に勝るとも劣らない。そして、その瞳の奥から、純粋無垢な魂が光を放っている。私のお腹からこのような美しい息子が生まれたことは奇跡としかいいようがなく、天が私に与えてくださった人生最大の幸運なのです。私はこの「奇跡」を守らなくてはならない。なんとしても。
 しかし、世の中には息子を悪い道へと引きずり込み、純粋無垢な息子の魂を汚そうとするモノたちがいる。そして、息子の純粋さを指を指して陰で笑う者タチもいる。しかし、息子の純粋さはいつまでも失われることはなく、私はその息子が存在するという事実、ただその一点だけでどんな労苦もいとわずに生きていけるのです。


 ある日のことです。いつものように仕事をしながらも、息子の動向に気を向けていた私は、突然のことに思わず店を飛び出しました。あろうことかあるまいことか、息子が、あの純粋無垢な「奇跡」が、親戚の刑事によって車で連れ去られてしまったのです。何故どうして!私がパトカーを必死で追いかけると、パトカーは横から来た車に激突されて、止まりました。息子の安否を確かめようと彼のいる後部座席の窓ににじり寄った私の目に飛び込んで来たのは、息子の手にかけられた銀色に光る手錠でした。
 嗚呼!神様!息子は女子高生が殺された事件の加害者として、警察は息子を逮捕したのです!なんという愚かな!息子の優しい心根のあの子の性格を知らないわけでもあるまいに!


 殺人事件などめったに起こらないこの村でこの事件は、村人の皆に大変なショックを与えたようですが、警察も村人もみんな息子が犯人だと決めつけているのです。こんな、こんな悪夢があるでしょうか!あの子が人殺しなど!できるわけがないじゃないですか!息子を被害者扱いする奴らは私が許さない!そいつらになんとしても突きつけなければならない!息子の無実の証明を!


 こうして私の、息子の無実を証明するための戦いが幕を開けたのです。



 えー。ポン・ジュノの新作でございます。



 本能、という言葉がございますけれども、本能というものは強いていうなれば「生物」としての人間の、原初の能力ということでございましょうか。
 本当にイイ映画とはなにか。というのを定義することは非常にムズカシイのですけれど、ボクが傑作と思う映画というものの多くは、なんというか、自分の身体の底に潜んでいた、思ってもいない何かを、眼前に引きずり出されることにあるのではないか、などと思うのです。「ヒト」という「生物」の持つ、「何か」。人間という幹から枝分かれしている「ソレ」に、風がざわざわと揺らすようなそんな感覚。


 この映画は、その一つの「本能」そのものを見つめた映画である。それはつまり「母性」。原題もそのものずばり、「MOTHER」である。


 ざわざわとした草原(すすきの原?)をバアさんがあるいていて、ふいに踊り出すという、奇異なオープニングに始まる、この映画は、「母」と「トジュン」のなんとも言えぬ特殊な母子関係と、それをとりまく人間模様を描きつつ、ヒトがセカイがうごめく中で、それらに翻弄される「母」が息子のために泣き、惑い、牙をむく姿を描いていく。ポン・ジュノの才能は、セカイの「うごめき」をきちんと描きながら、その中で、「母性」という名の「本能」に目覚めていく一人の女性の、魂の道程に丁寧に寄り添っていく。


 「セカイ」に翻弄され、「本能」のままに、息子の「絶対」の無実を信奉して突き進む母親は、やがて事件の真相にたどりつくわけだが、彼女はその行程の中で、セカイの「モラル」を徐々に越えていく。息子を守るためならば、倫理の垣根を越えていくことさえ厭わない、その姿に、観客は戦慄とともにあるすがすがしいまでの「純粋」を見る。それはまさに、獣たちが持つ、より純粋な生物としての「母性本能」そのものだからだと思う。
 ミステリとしての構造も素晴らしいのであるけれど、「母」としての本能に純粋なった瞬間に、女性があっさりと、その垣根を越える。その母性という名の、神々しさと戦慄を併せ持つ本能の、深淵を見せきった傑作だと思います。(★★★★★)