虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「なくもんか」

toshi202009-11-15

監督:水田伸生
脚本:宮藤官九郎


 うむ。どうなんだろう。


 「不幸。貧乏。人情」を材とした人情喜劇というジャンルの話である。それをクドカン流に料理するか。という映画であるけれど、そこに「主演:阿部サダヲ」という縛りがつく。「舞妓Haaaan!!!」スタッフ&主演チームの続編、ということで通ったであろう企画だからである。


舞妓Haaaan!!!」感想
http://d.hatena.ne.jp/toshi20/20070616#p1


 阿部サダヲが自己中な舞妓オタクを演じた前作とは打って変わって、他人の頼みをいやとはいえぬ、「お人好し」も度が過ぎる他己中男の話である。


 主人公は8歳の時に父とともに母の家を追い出され、父親は知り合いの惣菜屋「山ちゃん」に身を寄せるも売り上げを盗んで失踪。惣菜屋のオヤジは残された8歳児を見捨てることも出来ずに、一人娘とともに育てることにする。その子は優しくされるとその恩義に報いるために、馬鹿みたいに働くようになり、やがて惣菜屋自慢の秘伝のタレを受け継ぐ2代目「山ちゃん」として商店街の人気者になっていく。それでも、彼は決して八方美人の生き方をやめようとはしない。
 主人公には生き別れの弟がいた。母から家をおんだされた時に、母のお腹には弟がいた。弟が小学生の時に、母親が事故で死亡。身寄りのない弟は親戚をたらい回しにされ、転校に次ぐ転校の中で、笑いを取ることだけが彼のコミュニケーションの手段になり、やがて芸人を志す。しばらく売れない時期を過ごしていたが、ひょんなことから出会った相方と「兄弟コンビ」として売り出したところ、ブレイクし現在に至る。


 現在の境遇も生き方も違う二人の兄弟が、偶然の再会を果たすが、初めは取材するタレントと、取材される商店主として、であった。


 こうして物語は幕を開けるわけだが、なんつーのかな、物語的には小ネタをちりばめつつも、比較的王道の話で、ダメ親父に翻弄される人生を生きる、二人の兄弟の話なのだけれど、クドカンの持ち味である、「過剰に次ぐ過剰」で物語に異様な推進力をもたらすやり方が、今回はやや空回り気味に感じる。その根本的な原因は、「主演:阿部サダヲ」にある。
 なにせ、この映画の主役、「山ちゃん」こと山里祐太は基本的に「根っからの善人」という設定なのだが・・・はっきり言うわ。うさんくさすぎる。


 この映画を心から楽しめるか否かの最初の分水嶺は、この「阿部サダヲ=いい人」という公式を受け入れられるかどうかにある。俺は・・・ごめんちょっと無理。どう見ても腹にイチモツもニモツもありそうだもの。ヘンタイか小ずるい小悪党を演じれば天下一品の男に「あえて」善人を演じさせたのだろうが、ギャップを感じるとかそういう以前に「ありえない」としか思えなくて。物語のストーリーラインが「ウザいほど善人」の男が、やがて弟と理解し合うまでの話なのだけれど、話の前提そのものが、ちょっともう、「嘘」にしか見えなくて困る。
 かといって、瑛太演じるお笑い芸人である弟・祐介も、いまひとつリアリズムを感じないし。祐太が「商店街」というコミュニティに依存しているように、お笑いにはお笑いのコミュニティがあるはずで、祐介も多かれ少なかれそこに依存してないとおかしかないか?兄弟云々を気にするヒマはないはずだけどなあ、と思う。
 そうなると、どこに感情の置き所にすればいいのか、非常に困る映画になってしまっているように思う。クドカン特有の様々な特異なキャラや、小ネタ満載のサブストーリーなど次々と登場して飽きない映画ではあるけれど、今回はその幹の部分である「兄弟」の話の部分が、あまりにも嘘くさすぎて、結果そこから広がる「枝葉」の物語も、「幹」の部分の嘘くささに浸食されてしまった感が否めなかった。


 前作が阿部サダヲのヘンタイ性とそれに振り回される人々を描くことで、ドライブしていく映画になっていたのだが、今回は阿部サダヲというモンスターエンジンを御しきれず、フカしすぎて途中で思いの外普通の映画に終わってしまった映画に見えたのでした。(★★★)


追記:スタッフロールをぼんやり見ていたら、「漫才指導」で「ブッチャーブラザーズ」の名前が出て爆笑してしまった。弟・祐介の1発ギャグの本意気の寒さや、漫才部分の「いい感じに半端な面白さ」は、彼らの指導のたまものかもしれん。<ひどい。