虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ローン・サバイバー」

toshi202014-04-04

原題 Lone Survivor
監督・脚本:ピーター・バーグ


 アメリカには鉄の男達がいる。


 訓練時代に徹底的に肉体的にも精神的にも追い詰められる過酷なテストをくぐり抜け、勝ち残った精鋭のみだけが入隊を許される。それが「Navy SEALs」。
 第1段階で8週間の基礎訓練過程でいきなり志願者の数をガンガン減らしていく。両手両足を縛ったまま水中に20分間放り込まれたりする「水中適応訓練」やら、低体温症の瀬戸際まで追い詰められるほどに水をかけられ、腰まで使った泥の中を数マイルボートを運んだりしながら、体力を極限まで減らしていき、しかも睡眠はたった4時間しか認められないという通称「地獄週間」は、体力を極限まで追い詰めることで、人の「本性」を浮き立たせ、「仲間より自分を優先する」ような人間の隠された不適格性を露わにするという、非情なふるいにかけられた、エリート中のエリートたちだ。
 彼らは2年6ヶ月にも及ぶ訓練を終えると、あらゆる技能を身につけた、鋼の身体と鉄の意思と絆を兼ね備えた、「戦闘人間」となる。過酷な訓練を越えた彼らの、同士に対する絆はあまりにも深い。



 彼らが頼りにされるのは、まさに死と隣り合わせの特殊状況下での任務がほとんどであり、ソマリアでの海賊に襲われた貨物船船長の実話を描いた映画「キャプテン・フィリップス」でも、NavySEALs隊員が行った、「揺れる小舟の小さい窓越しに一瞬映り込だ狙撃対象3人を、海上からの遠方射撃で一発の銃弾で全員同時に殺す」というすさまじい離れ業が映像化されている。
 どんな過酷な状況下でも、時に静止しつつ適切に動き、時にひたすら動き続ける。それがNavySEALsである。


 そんな隊員達が投入された作戦が「レッド・ウイング作戦」というタリバン指導者の暗殺作戦だった。


 時は2005年。
 タリバン兵に占拠されたとある村。その斥候任されたのは4人の兵士は、指示されたポイントに到着し、その地点から微動だにせずに、新たな指示を待つ。通信網は、届きづらい無線と、つながるけれど傍受されやすい携帯電話のみ。少数精鋭なので医療班はなし。
 だが、彼らは気づいていなかった。村には村の日常があったことを。牧畜を営む彼らは、ヤギを山へ放ち、牧草を食べさせるのである。米軍が設定した斥候ポイントはそのルートの途上にあった。彼らは、一般村人と接触してしまったのである。
 4人は3人の村人を拘束し、彼らをどうするか協議した。無線はつながらない。電話は通じたが、司令官につなぎが入る前に切れてしまった。作戦はすでに破綻している。問題はどう撤退するか。3つ選択肢がある。


 1・村人を解放して撤退。2・村人を拘束したまま放置、撤退。3・村人を殺して撤退。


 彼らが選んだ道は1だった。自分たちが助かりたいがために、NavySEALsに不名誉となることは、彼らにとっては選ぶことが出来なかった。「自分よりも仲間」。その魂こそが、彼らに「最悪のシナリオ」を選ばせた。
 彼らも覚悟の上で臨んだシナリオだったが、それは想像以上に過酷な戦闘が彼らを待っていた。
 4人対200人以上。
 地の利も、戦力も、すべてが不利。援護はこない。脱出は「4人」の自力でしかなしえない。だが、死は決して選ばない。俺たち4人、全員、助け合って生きて帰る。


 NavySEALs隊員だからこそ嵌まってしまった、泥沼のような悲劇の戦いが幕を開けた!


 とにかく、ピーター・バーグの演出は、カット割りを多用しながらも圧倒的なリアリズムが支配する。この映画の製作に、実際の戦いで奇跡的に生き残り、原作となる手記を書いたマーカス・ラトレルが製作に関わったことで、俳優達はマーカス監修の疑似NavySEALs訓練を受けることで、肉体だけではなく精神的にもNavySEALsとしての動きに忠実に動けるほど、隊員になりきって最悪なシナリオの戦いを演じきっている。

 地の利で勝り、兵器類も充実しているタリバン兵の火力に圧倒されつつも、傷つきながらも生きるために動き、敵を斃し続ける続ける4人であったが、1人また1人と倒れていく。その時、無線を傍受した仲間達がヘリで救援にやってくる
 助かった・・・・。そう思った。だが、悲劇は終わっていなかった。


 そのシーンを見た瞬間、思わず見ているとき、「うそだろ・・・」と声に出してつぶやいちゃったようなこの悲劇の畳みかけが紛う事なき実話であるというのが恐ろしい。


 篤き絆を持った同士たちを次々と喪い、頼れる仲間の人生が消えていく。長年に渡る訓練も、同士として過ごした長き年月も何もかも。たったひとつの判断ミスが俺たちが過ごした人生をまるごと破壊しつくしていく。そして、今、俺の命までも。
 「孤独なる生存者」という題名は、いよいよ説得力を帯びてくる。。この絶体絶命な状況で、命をつないだ男に数奇な「救い」が待っているのだが、だがこの映画で描かれるのは、どんなに鉄の意志を持っていようと、どんなに鋼の肉体を持っていようと、どんなに強い絆を持っていようとも。戦争という魔物はたったひとつのミスが彼らの抱えた人生そのものを容赦なく「消滅」させていくという「現実」である。


 さて。
 この映画で描かれる「救い」は、ある民族の「ある掟」によるものであることがこの映画の、最後に明かされるのであるが、皮肉にもこの「掟」がアフガニスタンアメリカが戦端を開くきっかけになったことが、パンフレットで池上彰氏が解説している。それを思うとき、タリバンとの終わり無き戦争のきっかけとなった掟によって、ひとりのアメリカ軍兵士が救われるというのも、歴史の神の意地悪な仕業なところではないかと気づき、震えるのである。(★★★★☆)