虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ユナイテッド93」

レッツ・ロール!

原題:United 93
監督・脚本:ポール・グリーングラス
公式サイト:http://www.united93.jp/

 
 俺が小学生の頃見てトラウマになっているアニメーションがある。区民児童上映会で流された「ピカドン」という原爆についての短編アニメーション。サイレントで、出勤を急ぐ人。路面電車が走る。家では母親が赤ちゃんに乳をふくませ、幼児が紙飛行機を飛ばそうとする姿が映し出される。ただ、普通と違うのはその日が昭和20年8月6日だったこと。そしてその日常が、広島市の人々のそれだったことだ。
 その時が来て、その日常はあっさりと破壊される。あまりにも理不尽に。彼らは閃光に皮膚を溶かされ、苦痛と共に彼らは骨と化していく。たしか「はだしのゲン」アニメ版との併映だったと思ったが、そちらの方が鮮明に記憶に残っている。


 どんな歴史的出来事も、人生の当たり前の日常の中に突如として出現する。理不尽ともいうべき「運命」。逃れるすべはない。


 「ユナイテッド93」という映画もまた、そんな運命を生きた人々についての映画である。


 この映画は、2001年9月11日に一本の航空機に乗客やクルーが乗り込み、やがてハイジャックされ、墜落するまでを描いた物語である。
 俺の去年のベスト1であり、ポール・グリーングラス監督の前作「ボーン・スプレマシー」は、自らの過去が引き起こした悲劇、そこから生まれた孤独と対峙し、その運命を受容しようとした男の物語だった。この映画もまた、「理不尽な日常」に出会い、運命を受容し、対峙する人々の姿が描かれる。
 「ユナイテッド93」のもととなっているのは、乗客がテロリストと戦ったといわれる、英雄譚的実話だが、ポール・グリーングラス監督の賢明は、死への一歩通行の飛行機に乗ってしまった一般人の「虚構」の物語*1として、一歩引いた形で描いたことである。彼らがどのような経緯でそこへ乗ったか、などのドラマは徹底的に排除され、ただ、「日常の延長線上」でたまたま「その航空機」に乗り込んでしまった人々の、それぞれの時間を過ごす姿を淡々と積み重ねる。
 

 外で何が起こっているのかは、同じくいつもと同じはずの日常の業務を携わっていた管制室や、軍司令部の面々が出会う、徐々に発覚していく「異常の兆候」を積み重ねていくことで、「9.11がなかった世界」にその事件が姿を現すまでを克明に描いている。
 その上で、ある航空機に乗り込んだ「実在」の人々を題材にした虚構の「終わりのはじまり」の物語は容赦なく紡がれていく。テロリストたちが行動を起こし、騒然となった機内。彼らは自らの「日常」に「絶望」の影が落ちることを否応なく自覚する。やがて、彼らは語り継がれている「テロとの戦い」の行動を起こすに至るのだが、この映画で執拗に描かれるのは、彼らがその運命と向き合い、「覚悟完了」するまでの時間だ。「死」と「運命」を受容することで、彼らは捨て身の行動を開始するのである。


 実際の機内ではどうだったのか。それはわからない。知る術がないのだ。ただ、この「物語」はありふれた日常のなかで「理不尽な運命」に出会ったとき、人は如何にしてそれを受け入れ、その上でどのように生きるか、という「普遍」を描いているのである。傑作。(★★★★★)
 

*1:だって生存者いないし。実際の機内がどうだったかなんて知りようないのだ。