虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「横道世之介」

toshi202013-03-04

監督:沖田修一
脚本:沖田修一/前田司郎


 映画の終盤。ある女性が言う。「うーん、普通の人だったよー」と。
 初恋の人について聞かれた時の答えである。




 さて。
 僕は、藤岡藤巻の歌が好きである。


 彼らの歌には「平凡」な人生の「世知辛さ」が詰まっている。世間はどこまでも「人生」の「普通」な人間に容赦なく「理不尽」を強いるように出来ている。平凡であること。そのことの「世知辛さ」を真正面から歌っている。



 藤岡藤巻の「贈られる言葉」を聞いているとふいに思うのは、人生の曲がり角。会社に尽くし、人生の大半を「切り捨て」てきた人生への、世間の冷たさを歌っている。その現実をとことん目をそらさずに見つめ、それでもなお、前を向いて生きようと思い直す決意を歌い上げる名曲である。
 ぼくらの多くは「平凡」を生きている。ある人にはしょうもない、つまらない人生だと言う人もいるかもわからない。時にあまりにも苦しく、理不尽で、だけど、時々うれしいこともある。
 そして、家族や親しい人々からはともかく、世間からは「どうでもいい」人生である。「世知辛さ」とは無縁じゃいられない。


 しかし。「平凡」でありながら、この映画の「横道世之介」という名前の法政大学の大学生は、そこから微かに浮遊してみせる。くせっけで、ひょろっとして猫背。愛嬌があり、お人好しで空気が読めない。特別モテるわけでもなく、さりとて友達がいないわけでもない。親友もいて、恋人もいる。友達だっている。だけど、だから何だってわけでもない。
 そんな男を巡る青春群像である。


 彼と入学式で出会った同級生、教室で隣り合わせた女子、男を手玉に取る東北生まれの美女、誰かと間違われて「トモダチ」になった男。そして、幼なじみの目当ての男の隣にいた「彼」と出会う、箱入り娘。
 彼らは「1980年代後半」という時代に彼と出会い、彼の不思議な吸引力に惹かれていく。彼らの人生はやがて彼と袂を分かち、「平凡」な人生を歩み、やがて、ふとしたきっかけで「彼」を思い出す。そして「彼」を思い出してふいに笑ってしまう。


 あの日、「平凡」な、でも「思い出すと笑ってしまう」男がいた。その姿を、様々な人々の目線から追っていくことで、丹念に描いていく。


 そして2時間40分という長尺ながらその世界に浸り、最後まで見終わった時、ふと胸に広がるじわーっとした「暖かい何か」。これはなんだろうか、と考えると、映画で描かれる「世之介」の人生は「『平凡』な僕らが望む最良の青春」の形だからではないか。
 「普通」な男。「平凡」な男。ひたすら、モテモテだったわけでもない。「英雄」でもなければ、人生の「勝者」ですらない。だけれど、不思議とみんな彼を「忘れられない」。


 それは僕らが望む、「平凡な人生」だ。
 例え普通だったとしても。平凡だとしても。僕が例えばあなたたちの目の前から消え去っても、思い出したら笑って欲しい。それは、多分、「平凡」な人間が心の底で常に願っていることだと思う。そして、僕らには、容易には手に入れられないものである。



 「横道世之介」。それは、「平凡」でありながら、それゆえに味わう「世知辛さ」という現実から少し浮遊した人生を生きた男の物語である。(★★★★)