虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「レスラー」

toshi202009-08-18

原題:The Wrestler
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:ロバート・シーゲル



 ようやく。ようやく。見に行く折り合いを自分につけて観た。「あの方」の死についてのエントリから約2ヶ月。そのブコメに載っていた「(「あの方」の)死とシンクロしているから観ない方がいいかも」という忠告を受けて、意識的に鑑賞を避けてきた作品である。ノアの興行を見に行くなど、プロレスと心の間合いを計りながら、シネマライズでの公開ももうすぐ終了という段階で、ようやく「観るぞ」と重い腰を上げたのでした。
 


 不思議に思ったのは対象とカメラの距離だった。



 過去の栄光が映し出される。伝説のファイト、プロレス史に残る激闘を勝ち残った男。生きる伝説。それは古新聞の記事を貼り付けた形でしか提出されることはない。終わったことだ。終わったことだ。終わったことだ。
 カメラは一人の男を映し出す。レスラー。その、伝説の、男。ランディ"ザ・ラム"ロビンソン。薄給でもなお、リングにあがりつづける男をカメラは追いかける。過去の戦いの記憶を呼び覚ますのは、それを理由にサインを求めてくるファンがいるから。過去の偶像と現在の実像。そこに折り合いをつけた、ドライなファン。昔は我先にと押しかけていたはずなのに。複雑な思いで家に帰れば、家賃滞納で大家から家から閉め出され、車で寝泊まりするはめになる。金をかせぐためにバイト先の横柄な上司の嫌みに耐えながらシフトの増加を頼む。
 そもそもの家賃滞納の原因はレスラー生活を維持するためのことと、入れ込んでいるストリッパーのところへ通うことに費やされる。ステロイドと薬漬けで体はボロボロ、ホルモン剤やら痛み止めやらの薬代もバカにならず、本格派レスラーとしての肉体を演出するための「日焼けサロン」通い。耳は遠くなるし、記憶力は減退するし、老眼も進行中ときてる。それでもやめられないのは、過去の栄光に返り咲く「夢」を捨てきれないから。
 この映画が映し出すのは、「ザ・ラム」という偶像に固執し続ける、「迷える子羊」ランディ・ロビンソン一個人である。そして、その肉体は「ミッキー・ローク」である。この映画は「フィクション」と「ドキュメンタリー」の階層を行ったり来たりする。


 この映画でひとつ、見ていて思ったのは、プロレスの「恍惚」ではなく、「苦痛」の方がクローズアップされている感じがする。過去のために苦痛に耐え、やせがまんをし、自分より若いレスラーたちに虚勢を張り続ける男。リング上でハードコアな激闘を繰り広げても、最後には笑って対戦相手と抱き合うレスラーという職業の、避けようもない「痛み」を映画は映し出す。その痛みを捨てないのは、彼にはプロレスラーとしての「天国」を経験した過去があるからだ。彼はその「夢」から覚めてはいなかったし、そのために多くのモノを捨ててきた。
 しかし、心臓をやられて倒れ、現役を望みながら軽いジョギングですら、胸に耐え難い痛みが走る自分の体の現状に愕然とし、彼はレスラー人生の幕引きを決める。その時に、彼は心から気付く。おれは、ひとり、なのだと。
 彼は「人生の孤独」から逃れるように、お気に入りの「ストリッパー」であるキャシディとの関係進展と、絶縁状態の娘との関係修復を試みる。それは確実に前進しているかのように思われたが、やがて暗転する「出来事」が起こる。キャシディからは「客とは一線を越えない」という理由から交際を断られ、娘との約束を忘れたことで完全に破綻する。


 長い間夢に生きてきた男が夢から覚めたように現実と向き合い、そして心が折れていく。そのみじめさは「自業自得」でもあることを、誰よりも本人が自覚しているはずだ。しかし、それでも。そのみじめさに、男は耐えられない。
 夢に生きた俺に遺されたのは惨めな余生。そのことを悟った彼は、勤め先で暴れて辞めた挙げ句、「たったひとつ、人生で誇れるもの」へと帰って行く。それは人としては「逃げ」である。惨めな自分を受け入れられぬ心の弱さではないか。と観ている私は「人」として憤慨する。ランディはくるりと未来へ背を向けて、彼は「天国」へと向かっていく。かつて追いかけていた「夢」の残像を追うかのように。

 「行っちゃ、駄目だ」。そうそこは、もう、彼が人生と本気で向き合うならば、帰ってはならぬ場所だ。行っちゃ、駄目だ。
 どんなにみじめな「未来」が待っていようと、本当に人生にケリをつけたいならば、そのみじめさも含めて人生だろが!その怒りは、同じ人生を生きるものとしての怒りだ。そんな、ことで。逃げて、「死に場所」つくって、てめーは満足かもしれない。それは本当に落とし前つけたって言えるのかよ!人生の責任を果たしたって言えるのか!?
 この時点で涙目だったその俺の心の声に反応するように、試合会場に現れたキャシディが「天国の扉」に手をかけた男を引き留める。その時に彼は言う。


 「ここが俺の居場所だ」


 その瞬間、ランディとは別の残像が俺の脳を直撃する。2ヶ月前彼岸へと行ってしまった「あの人」がその言葉を言う幻影が、俺の脳裏に映し出す。ああ、ああ、ああ。その瞬間、涙が流れて止まらなくなってしまって、そしてランディの実像と、幻影の虚像の「2つの像」を見た俺は、より強く思う。「行っちゃ駄目だ、その先は行っちゃ駄目なんだよ!」ともはや懇願するような、悲鳴にも似た叫びが俺のこころをわしづかみにして、ぐいぐい締め付ける。
 それから先の展開に、スクリーンで巻き起こる「昂揚」と反比例するかのように、「絶望」を観る。お前、お前、お前。チクショウ、チクショウ、チクショウ。ランディも、「あの人」も、光の中へと消えていき、俺だけが「人生」に取り残されたような、そんな寂寥感でいっぱいになった心だけが残された。
 俺はランディの選択を許すことは出来ないけれどそれでも、彼を「人生」に引き留めたかったのは、かつて「逃げたくて逃げたくてどうしようもなかった」自分とも重なるからかもしれない。それでも俺はここにいる。ここにいるんだよ!ランディは、かつての「弱い、逃げ出したい」俺の心そのもののようにも思えた。それは「人生」をまっすぐ生きた「あの方」と、別の話だ。戦い抜いた男の話ではなく、戦いから逃げてしまった美しく、哀しい男の話だと思った。(★★★★)