虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「3時10分、決断のとき」

toshi202009-10-10

原題:3:10 to Yuma
監督:ジェームズ・マンゴールド
原作:エルモア・レナード
脚本:ハルステッド・ウェルズ/マイケル・ブランド/デレク・ハース



 ふたりの男をつないだのは、なんだったろうか。


 足を怪我して軍役を離れても、ダン・エヴァンスは神への祈りを忘れたことはなかった。家族とともに、荒涼としたアリゾナに来てからその祈りはさらに強くなっていった。
 続く干ばつで経営に行き詰まり、やむなく地主から借金。だが状況は好転することなく今に至る。しかも鉄道計画が持ち上がり、地主から立ち退きを要求されている。そんな中、深夜に嫌がらせに牛小屋を放火された。それでも、彼は決して息子の前では銃を撃たなかった。放火犯に対しても。それが長男の尊敬を損なっている理由だとしても。
 放たれた牛を息子達と野に出たダンは、そこで馬車襲撃の現場にでくわす。その首謀者こそ、悪名高く「神の手」を持つ男・ベン・ウェイドだった。強盗22件、奪った金額は40万ドルを超える。


 ベン・ウェイドは自分を悪だと認識していた。彼は神がいないことを幼い頃に悟った。そして、生きるために、欲しいモノを手に入れるために、彼は悪を為すことを恐れない。
 それはダンとは真逆の「生き物」だった。彼は神への祈りはしないが、人生の規律には幼い頃一度だけ読んだ「聖書」を使っていた。頭脳明晰、決断力に溢れ、自分の規律からはみ出すものは味方だろうが射殺する冷酷な決断をいともたやすく行う。悪を為しながら決して悪びれず、自由奔放でありながら律する心を忘れない。そんな彼の生き様は出会った人間を惹きつける。
 その魅力は、神を信じてきたダンにとっても鮮烈だった。彼の長男・ウィリアムにとっても。


 3年間。強く祈っても、状況は悪くなる一方のどん詰まりの人生。借金を返せる目処はなくなったことを知ったダンに、ふいにその人生を変える契機が訪れる。ベン・ウェイドの逮捕に関わったことで、その護送を手助けすることになったのだった。報酬は200ドル。
 ダンはアリゾナの3年間で、神の不在を確信しはじめていた。そんな彼に残っていたのは、目の前の現実を変える「何か」だった。
 奇跡を期待しても無駄なのだ。手に入れようとしなければ、道は開けない。ベン・ウェイドとの出会いを彼は「好機」と捉えた。この護送にもリスクはあった。それはベンを信奉する。ベンの右腕であるチャーリー率いる強盗団の残党たちだった。彼らが、ベンを奪還するためにたとえ、そのチャンスによって命を落としたとしても。


 神なき大地で護送する/されるという、ベンとダンは関係しているわけだが、そこに息子・ウィリアムが関わってくる。ウィリアムが護送の旅に関わったことで、ダンにとってはこの「護送」は意地でもやりとげなくてはならぬことになった。始まりは金のため。金から広がる「困窮からの脱出」のためだった。

 ユマ行きの列車はコンテンションという街を通過する。3時10分に囚人護送の列車が出る。ここまでベンを連れてくるまでに、おとりになった男が一人、護衛に付いた者たち3人の、計4人が犠牲になった。しかし、最後の最後、ダンたち護送団に、絶体絶命の状況が出現する。
 息子が惹かれている、悪名高き男の護送をやりとげること。悪への誘惑を断ち切り、困難から逃げない勇気を息子に見せる。そんな「感情」はベン・ウェイドの「計算」の外のことだった。出会った時は兵士崩れの、びっこひきの「ただの」牧場主だったダンが、今は父として「男」になろうとしている。そういう「感情」はベンの人生の中で持ちようのないものだった。


 生き方も境遇も考え方も全く違う二人の男が神なき大地での彷徨、そしてダンの告白によって、魂の奥底で共鳴したとき、宿から駅までの800マイルが銃弾が乱れ飛ぶ戦場と化す。


 神のいない大地で生きるベン・ウェイドにとって、死は相手に与えうる最高のギフトである。ゆえに彼の銃は「神の手」というのではないか。と思う。生きている方が地獄だということを彼は人生を通して知っているが、彼が最後に「神の手」を手にしたとき、彼がするその使い方は、「神の不在」を感じ始めていた男にさしのべる「神の手」そのものだった。
 その瞬間、どっと感情の奔流が自分の中に溢れてきて泣いてしまった。父に、そして息子に。ベン・ウェイドは見せるべきものを見せて去っていく。最後に人を救うのは神ではなく人なのだ。(★★★★★)