虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「フィクサー」

toshi202008-04-12

原題:Michael Clayton
監督・脚本:トニー・ギルロイ



 おれはなぜここにいる。


 ふと。振り返ると、俺の歩いてきた道は正しい道だったのか。そして今ある俺の、現実にずぶずぶと身を沈めている。いとことの共同経営の店の借金を抱え、家族を養い、そしてやってる仕事は「もみ消し屋」という名の体のいい尻ぬぐいだ。やりがい?そんなものあるわけはない。ここから抜け出せるものなら抜け出したい。だけど、俺にはそんな「選択」は残されていない。若い頃ならまだしも、今、俺は事務所に首根っこを掴まれ身動きがとれない。
 正しいこととはなんだ。「あいつ」のような自殺行為をせず、選択する可能性を極限に狭められ、それでもなお、俺が行える「正しい道」とは・・・。



 マイケル・クレイトン。という原題の通り、法律事務所のもみ消し屋という裏仕事に携わるひとりの「中年男」マイケルさんの話。現実にがんじがらめにされながら、「正しい道」を求めて七転八倒する話である。同じく自分の仕事の薬害集団訴訟の企業側の弁護士という「ダーティ・ワーク」に対する過重なストレスから、躁鬱病を再発させたベテラン弁護士・アーサー・イーデンスの尻ぬぐいをする羽目になり、彼の「爆発」に振り回されながらも、その男の「爆発」にどこか共感を持つマイケルは、やがて、彼の行為は「自分なりの正しい道」へと帰るための反応であることを知る。
 一方、テルダ・ウィンストン演じるカレン・クラウダーは、すっかり中年の体型になりながらも獲得した法務担当というキャリアをつぶされそうになって焦っている。企業側の弁護団の主任弁護士の裏切りという事態に直面し、その事態の可及的速やかな対処を求められている。彼女の、いままでの人生を、ひとりの男によって無に帰させはしない。彼女はついに、ある一線を踏み越えてしまう。


 中年以降の登場人物たちが抱えるそれぞれの焦燥が、この映画に通底するドラマだ。どこへも行けやしないのに、その一線を越えてしまったら破滅しかないのに、その先を踏み越えてしまう人々。マイケルも正しい道を選択するためにかけずり回るが、現実という名の泥沼に足を取られ、みすみす破滅に向かう人間を救えずに苦悩する。
 カレンもまた、その先へ行ってしまう一人だ。彼女の踏み越えてはいけない境界線を越え、やがて彼女は破滅の道を行く。それでもなお、マイケルはある選択を行うことで、落とし前をつける。だが、胸の中にあるわだかまりは消えず、アーサーのようには決してなれぬ自分に対する哀れみを感じながら、タクシーを走らせる。


 決して爽快感のある映画ではなく、マイケルの選択がすべてを解決するわけでもない。ただ現状の中で一番いい選択をしてみた、という以外のことでしかない。どんよりとした雲の下、彼の人生は続く。そんなドラマを、力強い筆致で見せきるトニー・ギルロイの「筆力」に感嘆させられる秀作ドラマである。(★★★★)