虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「モンゴル」

toshi202008-04-13

原題:Mongol
監督・脚本:セルゲイ・ボドロフ



 見終わった後、ふむう、と思う。考え込んでしまった。


 まずひとつ、画は大変きれい。終始美しいモンゴルの大地を深い陰影をたたえながら映し出していてお見事。


 で、
 この映画の目論見は後のチンギス・ハーンことテムジンが、モンゴル統一を為し、世界に名を轟かせるにいたる青年期を描くわけだが・・・どうも、見ていて違和感があるのは、監督はこの映画を通じて撮りたかったものが、「人物伝」ではないらしい、ということで。
 浅野忠信の演技はなるほど、役柄の精神に寄り添う演技を見せていて、役者としての年輪を感じさせる力強いものだったが、この映画が描こうとしたものは、けっして「世界を牛耳るに至る人物」になる男の話、を描きたいのではないらしい。ということ。モンゴルという大地の中で、当時のモンゴル人の細やかなしきたり、美人の基準の違いや、モンゴル人のメンタリティを描いたり、というリアリティはあるのだが、この映画はあくまでも「一青年テムジン」の物語という形をくずさない。


 ただ一つ印象的のは、「俺は違う」というセリフと、彼の「モンゴルの考え方に縛られない」ものの考え方にあるのかな、と。妻をとっかえひっかえするようなことはせず、一人の女性を愛し続け、その女性のために戦争すら辞さない、というものの考え方は当時のモンゴルに生きる人々からすれば、非常に変わった男であった、という描写がある。女性はいわば「名誉」を象徴する「道具」である、という考え方で、女の奪い合いをする「世界観」の中で、テムジンとボルテは強い絆で結ばれている、という展開が目を引く。
 単純に言えば、日陰の身にやつしながらも、やがて王としての器を手に入れていく過程、というものも描こうとはしているのだろうが、人心を掌握する過程がばっさりと切られていて、「いきなり慕う人間が登場」という場面が頻出するのは、見ているこちらはびっくりするのだ。なるほど、現代的なメンタリティをモンゴルの大地で獲得していた、希有な人物、としての描写は多い。だが、それだけで人間の心は捉えられない。浅野忠信は清新な考え方をする、内省的に深い悟りを称えたような青年を好演しているのだが、カリスマ性という意味においては、やや説得力に欠ける感じがするのだ。


 ポドロフ監督には続編の構想もあるとのことだが、もうすこし、「奴隷」から「王」になった男が、人心を掴むまでを説得力を持って描いてみせせてくれたら、歴史物語としてもっと面白いものになったろうになあ、とちょっと残念に思う気持ちもあるのでした。(★★★)