虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「リヴァイアサン」

toshi202014-08-30

監督:ルーシァン・キャスティーヌ=テイラー/ベレナ・パラベル




 これはなんだろう。


 映画が始まってすぐ、観客はその疑問にぶち当たる。目の前で起こっていることはなんだろう。映画は一切の説明をしない。カメラのレンズの向こう側。夜の闇の向こうでなにかが動いている。目をこらしても容易にはわからない。なんだ。なんだこれは。この映画はなんだろう。
 しばらくして、この映画の舞台となる場所へとカメラは移動を終える。ここは漁船のようである。しかし、これは何を映し出したものなのか。わからない。だれが何のために、こんなものを映し出しているのかさえ。


 やがて映画は視点を変える。海上に打ち上げられ、死に瀕する魚たちを縫うように男達が移動している。さらに魚を「化工」するためにひたすら魚の首を落としていく男達。さらに落とされた魚の首、首に群がる鳥たち、漁船から海へとうち捨てられる魚の血などの映像が、次々にスクリーンに映し出される。


 なんだ!これは!無造作に表れては消えていく映像たちに、僕ら観客はひたすら翻弄される。


 この映画は物語ではない。ジャンルとしては「ドキュメンタリー」ということになるだろう。ただ、観客に提示される映像は「素材」としてのそれだ。
 ただ見ているだけでは物語になりようがない映像が続く。だが、その映像はいまだかつて我々が見たことがない「視点」で世界を切り取ってもいる。映画を見た後、その映像をどう撮っているかという理屈を知ってなるほど、そういうことなのか、とわかったのだが、映画を見るに当たっては、そういう前知識を持たずに、まっさらな状態でこの映画を見て、ひたすら「ナニコレ」と思いながら見ることをオススメする。


 なぜならこの映画は、その映像によって観客の想像力を試す映画だからだ。



 この映画がなければ決して見ることなく終わっていたであろう、世界の理、弱肉強食。人間の文明の暴力性がこの映画には詰まっている。例え一介の漁船であったとしても、僕らの文明は他の生物にとってはあらゆる意味で脅威であり悪夢だ。他の生物たちがいまわの際に見る地獄。僕らはそのことを考えずに生きている。
 人間は人間の理で魚たちの命を奪う。だが、それは魚には関係ない。ただただ、理不尽な暴力がそこにある。


 この映画を「退屈な映像の羅列」とみるか、「世界の新しい一面を切り取った、刺激的な映画」とみるかは観客次第である。ただ、この映画は決してメッセージを声高には叫ばない。物語の構築そのものを観客に委ねているのである。
 是非一度、映画館で体験して欲しい、文明の理の暴力性を、外から見すえた映画である。(★★★★)

進撃の巨人(1) (少年マガジンKC)

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