虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ヒメアノ〜ル」

toshi202016-06-16

監督・脚本:吉田恵輔
原作:古谷実


 生きている日常というものはどことなく茫漠として見えるものだ。
 世界では様々な事件や事象が起きていてもそこから遠く離れているだけで、世界から接続されてないように感じたりする。テレビでは事件、事故、政治、経済、様々な事が起こっているけれど、自分の中で起きていることは「寝て、起きて、仕事して」というそんなルーチンの中に押し込められた生活で、では俺はそんな世界の中で接続を絶たれているのかと言えばそんなことは無い。今日もどこかで「何か」が起きていてそれは僕らの世界と地続きなのだ。そういう当たり前のことを僕らはふいに忘れてしまう。



 無趣味でモテず、バイト先でもミスして先輩に尻拭いされるさえない日々を送る岡田は、ある日安藤先輩に喫茶店に行くことになる。そこには先輩が片思いしている運命の人、阿部ユカがいた。そして、それをじっと見つめる金髪の男。先輩がユカのストーカーだというその男を見て、岡田は気付く。高校時代の同級生で、昔仲良かった森田君だ。岡田は声を掛け、二人は久々に顔を合わせた。しばらくして、一緒に飲んだりしたがさして盛り上がらずに別れ、森田との事はそれっきりになる・・・はずであった。
 しかし、岡田は知らなかった。「森田くん」は狂気を押し殺して生きる「殺人者」であることを。やがて、あることがきっかけとなって、森田くんは岡田に殺意を抱くことになる。


 この映画で本当に重要な役はだれなのか、ということを考えたときに、この映画でもっとも「非日常」な「暴力」を体現する森田剛演じる「森田くん」が圧倒的ではある。


 だが、監督がそれと同じくらいの密度で描きたかったのは、その「暴力」という「非日常」の向こう側にある「茫漠たる日常」であり、それが容赦なくそしてあまりに「シームレス」に繋がることのほうだ。



 大河ドラマ「八重の桜」は会津の砲術師範の娘・山本八重の数奇な人生を描いているが、前半部は会津での彼女の日常と、彼女の兄である山本覚馬会津藩を飛び出し見聞を広めていく中で、江戸幕府の時代の終わりへと向かう時代の風を感じるパートに分かれている。そして、覚馬を通して描かれた時代の変化が会津の日常を飲み込み、人々を悲劇が見舞うまでを丹念に描いていた。それゆえに、時代の流れが変わることの残酷さがより視聴者にダイレクトに伝わってくる、見事な作劇であった。
 日常というものはいつまでも続くもので、このなにげない日常はいつまでも続くんじゃないかと僕らは思っている。けれど、それはなにかとてつもない力の作用でぶっ壊されることがある。


 だから、この映画で本当に重要なのは、実はこの映画の「暴力描写」だけではない。


 それと拮抗しうるほどの「茫漠たる日常」と「そこに起こったささやかな奇跡」をより魅力的に描かねばならぬのである。ゆえにこの映画で森田剛と同じくらい重要なのは、狂言回しの岡田演じる濱田岳の見事な童貞演技ぶりであり、彼を思わぬ事件へと巻き込んでいくことになる安藤先輩を演じるムロツヨシの思い込みの激しい非モテ変人演技だったり、森田や安藤先輩に惚れられながら岡田を好きになる阿部ユカを演じる佐津川愛美のオボコく見えながら実はそこそこ経験豊富で惚れた男は必ず落とす、意外な意志の強さを見せる演技だったりする。
 日常ドラマパートの独特な笑いやペーソスに少しの生々しさを混ぜながら展開する彼らの人間模様は、それだけで実はとてつもなく魅力的なのである。吉田恵輔監督はその過去作品で培った演出力をフルに使って、非日常パートと日常パートをまったく拮抗する形で見事に演出してみせる。


 だからこそ、突然森田の狂気が疾走を始める「タイトルバック」は一層鮮烈。ここで映画はいよいよ転調したかのように見える。しかしここから始まる暴力は決して「別世界」のことではないことを、観客は思い知るのである。
 人生に絶望し狂いゆく者が気まぐれに起こす圧倒的な暴力は、どこにでもある日常によくある「風景」の中で突然牙を剥く。それゆえに僕らは恐慌し、そこに圧倒的な理不尽を見る。日常にふいに立ち現れた強力な悪意によって尊厳を踏みにじられ、人生を壊される人々。それと、岡田やユカちゃんや安藤先輩の日常が「地続きである」ことを否応なしに突きつけられる。


 哀しき殺人者「森田くん」が次々起こす無差別殺人と、茫漠たる日常に奇跡が起こった「岡田くん」の日々。ふたつの人生がやがて、まるでそれが運命であったかのように交錯し、再び二人は向かい合う。
 二人の人生は何がちがったのだろう。殺人者とそうでない者。その差ってなんだろうか。この映画のラストシーンは問いかける。


 決して帰ることが出来ないあの日。それゆえに儚く、それゆえに美しい。


 そのシーンを見ながら僕はね、涙が止まらなかった。
 それは、境界線の無かった日々は過ぎ、完全に「ヒトデハナイモノ」になってしまった「森田くん」に流した涙である。なんでこんなことになってしまうのだ。日常を破壊する暴力が生み出すものを、透徹な目線で描ききった傑作である。(★★★★★)