虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「桐島、部活やめるってよ」

toshi202012-08-12

監督:吉田大八
原作:朝井リョウ
脚本:喜安浩平/吉田大八



 大事なものはどこにあるのか。


 この映画をぼんやりと見ていて思ったのはそこだった。


 金曜日。バレー部キャプテン桐島が部活をやめた。そして桐島はいなくなった。
 成績優秀。スポーツ万能。人望も篤く、誰からも愛される人気者。そんな男が突然、学校から姿を消した。恋人にも親友にも何も告げぬままに。


 学校の人間関係は彼を中心に成立していた。彼とつき合う彼女、彼女とつるむ帰宅部の女友達、その2人と距離を取りながら付かず離れず関係を保つバドミントン部の女子2人、バレー部の副キャプテンと桐島の代わりにリベロをつとめることになったバレー部員、桐島と仲良くしながらも部活動をせずに暇つぶしのバスケをするモテる帰宅部3人、その中の一人を屋上で練習しながら見つめる吹奏楽部部長。
 桐島の不在は、彼らの人間関係に波紋を投げ掛け、少しずつ狂わせていく。

 そして、神木隆之介演じる前田涼也はそんな、人間関係から遠くはなれた場所にいた。運動音痴、気弱でモテない彼は、冴えない人間の吹きだまりと化した、映画部の部長だった。



 この映画の予告編では「教室という格差社会」と書いている。
 しかし、それは別に当然の帰結としての「不平等」だ。スポーツ万能で成績優秀でイケメンでリーダーシップもある人間がモテるのは当然で、運動音痴で、勉強もそこそこ、気弱でおどおどしている人間がモテるはずもない。それを「格差」と言ってしまえば確かにそうだが、しかし、それは「理不尽」とは少し違う。どんだけ「格差」に見えても、人にはそれぞれに生きている世界がある。


 この映画は様々な視点で、「桐島のいなくなった金曜日」を何度も繰り返すことで、登場人物たちから見える「風景」を切り取っていく。
 そういう「格差」を優越感として持ちながら彼らなりの人間関係で汲々としているその外で、前田とその友達の武史は自分たちの世界で戦っている。ただ、彼我の差を「格差」と思う人間には、彼らの戦いが見えない。どうでもいいからだ。


 それだけの話である。


 桐島を巡る「世界」と、前田の世界をつなぐのは、女子グループと折り合ってつき合いながらも、前田と同じ「映画鑑賞」を趣味とする東原かすみ(橋本愛)である。
 彼女と前田は、たまたま映画館で一緒になり、学校で顔を合わせればぎこちない会話を交わすし、かすみからは前田が戦っている「世界」が見えてはいるのだが、二人が近づけば近づくほど、二人の生きている世界の隔たりを感じさせる。


 この世界を「格差」だけでとらえている人間からは見えない世界がある。僕はそれを知っている。仕事とは関係なく、13年近く、まがりなりにただ、愚直に映画の感想なんぞを続けている僕は、それを知っている。みんな、それぞれに大事なものを持っている。桐島と彼らを取り巻く世界だけを、「世界」と思っていた人間たちは、ラストで思わぬかたちで、「前田たちの戦い」を知る。


 「大事なもの」は自分の中にある。それを持ち続ける人間こそ、強いのだ。そのとき、人間としての輝きが、すべての価値観が最後に逆転し、桐島はただの「記号」と成り果てる。ケータイ電話のメモリの一部。それが「桐島」だと知る。
 今までスクリーン上で、おどおどとしていた、所在なく、気弱な神木隆之介は、いやさ、前田涼也は誰よりも輝くのだ。


 そのとき、「格差」という名の観念は消え去り、ただ「大事なものを持つもの」と「持たざるもの」に分たれる。そして、8mmカメラという名の銃は一人の少年のこころを撃ちぬくのである。(★★★★★)