虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「少年は残酷な弓を射る」

toshi202012-08-07

原題:We Need to Talk About Kevin
監督・脚本:リン・ラムジー
脚本 :ローリー・ステュアート・キニア
原作:ライオネル・シュライヴァー


 ふと目が覚める。一人きりの家。あの日の夢を見ていた。昔の私の夢。世界中を旅して好奇心旺盛、人生の喜びに満ちていた、あの日の私の夢だ。
 ベッドからむくりと起きだし、家から出ると、家と車に赤いペンキがぶっかけられている。白いボロ家に赤いペンキが乾いてぱりぱりになっている。誰がやったのかはわからないが、多分この街の誰かだ。私が「どういう人間」か知っている人だ。
 今は求職中なので、アポイントメントを取った会社へ、約束の時間までにつかなければならないのでペンキまみれの汚れもそのままに、家を出る。誰もが私をみている。気がする。
 求職先の旅行会社へ着いてしばらく座っていると、会社の社員たちが私をちらちらと見ている。気がする。いや、多分気のせいではない。
 面接に通り、就職が決まった。この会社のボスは「『私たち』のこと」を知りながら、雇ってくれた。その温情に私の顔が一瞬ほころぶ。そんな私の前に、見覚えのある中年女性が現れ、私に向かって「何かいいことあったのかしら?」と問う。次の瞬間、彼女の手が私の頬を一閃する。


「笑ってんじゃないわよ!地獄に堕ちな、クソ女!」


 あの「事件」からもうすぐ2年。私は覚めない悪夢の中にいた。私の「息子」が起こした、邪悪な「事件」。そのせいで、私は神すら信じられず、人と距離を取り、「地獄行き」の人生の孤独に耐えている。
 私はこの18年間ずっと「なぜ?」と思っている。


 私は「なぜ」彼を産んでしまったのか。


 私はお腹に「彼」を宿した日をずっと後悔していた。あの日から、彼がいなければ今頃は・・・。そう思うたびに、彼女は自分が彼と向き合ってきた16年間を思い返す。


 私が愛せなかった「彼」との時間を。



 さて。
 先に感想を書いた「おおかみこども〜」は言うに及ばず、今年のアニメ映画は「母子」の映画がやたらおおい。つまり母親の子供に対する無条件の「愛」、つまり「母性」がドラマの前提になっている映画が数多く作られているわけであるが、本作は、その流れの中にあって真逆のドラマツルギーである。
 「自分がお腹を痛めた息子」を生理的に「愛せない」ということ。その恐怖が、この映画のドラマそのものである。それがどれほど恐ろしいことか。母親としての無償の愛を求められる社会において、その「罪」は深く、そして恐ろしい。そこから生まれた「結果」はエヴァにさらなる苦難を与える。


 この作品は、「母性」では決して解決しない「邪悪」とそれがもたらした「結果」。そして、その「邪悪」の「源流」についての映画である。
 

 旅行作家として世界中を飛び回っていたエヴァティルダ・スウィントン)は、作家としてのキャリアの途中で、恋人のフランクリン(ジョン・C・ライリー)の子を妊娠し、ふたりは結婚する。フランクリンは妻と子供を愛する家庭人であり、エヴァも子供に対して愛情を注ごうとするが、息子のケヴィンは明らかにエヴァに対して悪意をむき出しにして、反抗しつづける。
 エヴァはそのあまりに悪意に満ちた息子の行動に恐れを隠せない。しかし、息子を溺愛する夫は、ケヴィンの中の「邪悪」に気づかない。
 自分にも母性があるはずだ。しかし、エヴァは幼いころから自分の母性すら凌駕するケヴィンの溢れ出んばかりの悪意に翻弄される。


 だが、そのケヴィンとの関係が、好転する機会があった。それは「弓」についての童話を読んでいる時だった。彼はエヴァが読む「弓」の童話に引き寄せられていた。そしてフランクリンは、彼に弓を買い与え、ケヴィンは喜び勇んで弓を練習するようになる。

 しかし。妹のセリアが生まれ、ケヴィン(エズラ・ミラー)は賢く美しい少年へと成長するが、それでも彼のエヴァに対する悪意はやむことはない。そして、悪意は妹のセリアにまで向けられるようになると、エヴァの心は限界を迎え、フランクリンは、エヴァとの離婚を決意する。
 しかし、それを知ったケヴィンは、エヴァですら想像もしなかった行動に出る。



 怖い。はっきり言って怖い。ここまでぞわぞわする映画だとは思ってはいなかった。
 この映画には一種のカタストロフがあるが、それは重要なモチーフではあっても、そこが「描きたい本質」ではなく、その「事件」の前、そして「事件」の後も続く母子の関係、そして「反抗的態度」を取りつづけるケヴィンと、エヴァとの愛憎の歴史なのだと思う。
 ケヴィンを演じるエズラ・ミラーは大変整った顔をしているのだけれど、嵐の松本潤のような整った顔と、整形後のマイケル・ジャクソンのような人工的なまでに白い肌で、その組み合わせによって時折「人間ではないなにか」に見える瞬間がある。その容姿はどこか山岸凉子の描く美少年のように美しさの中に、どす黒い闇を感じさせる。
 そしてその「闇」へと至るその源流には、エヴァが長年抱えていた「自分にあり得たかもしれない、もうひとつの人生」への執着がある。そのことをケヴィンは「生まれながらにして」感じ取っていた


 自分は望まれなかった子供である。


 それを本能的に知っていたからこそ、彼はエヴァに自分に目を向けさせようとした。自分以外にエヴァの興味を引く存在を、ケヴィンは決して許さない。その「母への執着」が、歪んだ形で爆発する。
 エヴァには「邪悪」に見えたものが、実は彼なりの「母への愛」だった。それを知った瞬間、初めてエヴァはケヴィンを心から抱きしめる。


 エヴァは18年という期間を経て、「歪んだ愛」という名の呪いを受け止めて、彼女は彼が生み出した悪夢な世界へと帰還する。ともに地獄に落ちるまで。彼女は振り向かないで歩くことになるだろう。
 ある母親が見た、「母性」で解決できない母子の「煉獄」についての映画なのである。(★★★★)