虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「シュガー・ラッシュ」

toshi202013-03-25

原題:Wreck-It Ralph
監督:リッチ・ムーア
脚本:フィル・ジョンストン


 舞台はとあるアメリカのゲームセンター。そこではゲームの垣根を越えて、キャラクターたちが世界を共有する世界が出来上がっていて、ゲームセンターが閉店すると彼らの時間が始まる。


 悪役を演じる人間が実は真面目、というのはプロレスファンなどにはおなじみの話で、そういうゲームの流れを作る重要な存在でありながら、つねに疎まれて、損な役回りを日常的にこなしてる「キャラクター」が、時を経て「自我」を獲得して、ある「もめ事」がきっかけとして「キレ」て、ゲームの中で「特別な存在」になろうとするお話。


 アーケードゲームとして30年稼働してきたレトロゲームの悪役・ラルフが、長く不遇をかこっていたことから、自分も日の当たる存在になりたいと自分のゲームを飛び出して、人気シューティングゲーム「ヒーロー・オブ・デューティ」というゲームに潜入して「ヒーローのメダル」を獲得するも、トラブルが起こり、ラルフは「シュガーラッシュ」という最新レースゲームに迷い込んでしまう。
 一方、彼が悪役をしていたレトロゲーム「フィックス・イット・フェリックス」は、ラルフがいなくなったことからゲームそのものが成立しなくなっていた。ゲーム世界の危機に、主人公・フェリックスもまた、ラルフの後を追って、他のゲームの世界へと出かけていく。



 えーと。まず。
 僕は子供の頃から粛々と「ゲーセン」に通い、一時は毎年AMショーへも足が運んで技術革新のために苦労した人々の存在をそこそこ知っている者としては、「2Dゲーム」と「3Dゲーム」のキャラが共有する設定という時点で、まー複雑な思いを抱えもするわけですが。ドット絵からCGの表現の趨勢に至るまでの作り手の苦闘みたいなものはまるっきり無視で、フラットに世界を行き来出来るってなんやねん、とは思った。
 そういう意味ではこの映画は「トイ・ストーリー」ほどのセンス・オブ・ワンダーは感じなかったりもする。「トイ・ストーリー」は「1人の少年」を磁場として、彼に隠れて「おもちゃ」に魂がやどって動き出す、というのは国や世代を問わず、多くの大人たちの「子供」心をくすぐるもので、広く「共有」しやすい物語だけれど、「とあるアメリカのゲームセンター」を磁場としてゲームキャラたちが閉店時間のみ世界を共有している設定は、「アメリカローカル」ならばともかくも、ゲームセンターの記憶って国や年代によってかなりバラバラであるから、私のような「オールドジジイゲーマー」からすれば、先に書いたような違和感も当然あるわけですが。


 ま、そういう設定の瑕瑾はあることを踏まえた上で、この映画はその瑕瑾をきちんと超えてみせる。そのシナリオの構成やキャラクター造形、伏線の張り方が見事。ラルフが「シュガーラッシュ」というレースゲームで出会う「女の子キャラ」ヴァネロペは、「プログラムの不具合」からその世界の鼻つまみものとなっていた。彼女がプレイヤーとして登録されたならそのゲームは「バグ」っていると見なされ、ゲームセンターから撤去される運命になる。
 「不遇」な扱いを受けるヴァネロペだったが、そんな扱いを受けながらも決して諦めない前向きな性格はラルフの心を捉え、はじめは「メダル」を巡るゴタゴタで対立したものの、やがてメダルを獲得するためにラルフはヴァネロペのレース参加に対して協力関係を築くようになる。
 しかし、「シュガーラッシュ」を支配する「キャンディ大王」は彼らの関係に危機感を抱き、彼らを引きはがそうと画策しはじめる。





 なんと言ってもこの映画最大の魅力は、ヒロインであるヴァネロペである。彼女は常に前向きで元気で、明るいし、ゲーセンでは30年以上「生きて」きた「悪役」ラルフにも物怖じしない性格は、ちょっと「小生意気」ではあるが、それが彼女の魅力をむしろ増幅させる。そんな彼女の魅力に、いじけていたラルフの心は少しずつ癒やされていく。
 それにしても彼女は見た目や仕草まで問答無用で可愛いのだが、それは大柄なラルフに比べ圧倒的に小柄というのもあるだろう。彼女はラルフからも決して目線をそらさず喋るのだが、そうなると彼女はラルフと会話するとき、どうしても上目遣いになる。その可愛さがさらに3割増しくらいさらに可愛くなる。
 なぜ不遇な「出来損ないプログラム」なのに、そんなに前向きで明るいのか。その理由は後に判明する。


 はじめはラルフは彼女と「友情」を育んでいるのだが、彼女の魅力に次第に心を捉えられていく。面白いなと思うのは、ラルフ自身はあくまでも「友情」だと思っている。それは最後まで変わらない。しかし、彼がクライマックスに起こす行動は、ゲームキャラとしてその範疇を超える。
 僕はこの映画を2回見て、2回とも「その行動」を見て泣いたのだが、しかし、ふっと思ったのである。この映画のゲームキャラには「自身のゲーム以外での死は、復活できない『絶対的な死』である」というルールがある。つまり、ゲームキャラとして、クライマックスでのラルフの行動は「特攻」に近い。「彼女のためなら死ねる(消滅する)」と言うことであり、「フィックス・イット・フェリックス」という「故郷」が消え去ってもかまわない、という覚悟でラルフは事を起こすのである。そして、そんな彼の心情にずっぽり共感している自分に気づいたときこう思うのである。


 こわいわー。可愛いって・・・こわいわー。


 最後にラルフがつぶやく、「悪役やってて一番良かったと思う瞬間」を語る彼の目は、心の底から惚れたものに対するまなざしである。もはや、心を奪われながら、その自覚がない。真面目一筋三十年の悪役を貫いた「非モテ男」の、遅咲きの恋ほど怖い物はないな、と思って映画館を後にしたのでした。最初に触れた不満点も含めて、大好き。(★★★★)


天使な小生意気 1 (少年サンデーコミックススペシャル)

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