虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「DRAGON BALL Z 神と神」

監督:細田雅弘
原作:鳥山明
脚本:渡辺雄介



 映画の評価としては、★★★。だけど面白かったー。


 映画としてはともかく、すごく正しい「鳥山明」のアニメを見た、という感想でね。


 破壊神ビルスという「宇宙最強」の存在が出てくる。そいつがね、一度寝ると数十年眠り続ける、「こち亀」の日暮とか、「ケロロ軍曹」のアンゴル=モアみたいな。顔が毛のないチワワみたいな神様なんだけど。界王様の星にいたスーパーサイヤ人3という最強モードの悟空を一蹴するくらい、つおい。
 その破壊神のノリがね。軽い。無邪気、故に悪意にも破壊欲にも純粋、という存在。彼は夢で「スーパーサイヤ人ゴッド」というのを見たというんで、スーパーサイヤ人がたくさんいる地球へやってくる。で、悟空を倒したそいつが、最初にサイヤ人の王子・ベジータのいるカプセルコーポレーションにやってくる。で、そこで行われてるのが、彼の妻ブルマの○○歳の誕生日パーティで、機嫌を損ねると地球をうっかり破壊しちゃうビルス様に、パーティの食事で機嫌良く丁重にお帰り願おうとする、という話になる。


 まー、正しいのは。話の中心をブルマに置いたこと。彼女が招集する、という名目ならとりあえず、個人行動大好きな主要な登場人物が全員集合する理由としては手っ取り早いことと、この映画の「裏主人公」はベジータで、「戦闘種族」の彼がなぜ丁重にビルスにお帰り願おうとするか、という理由付けとしても見事というしかない。
 そもそも「ドラゴンボール」の主人公は孫悟空ではなくて、ブルマであったはずなのよね。それが悟空の戦いがメインになると彼女の存在感はぐっと薄まるんだけど、彼女の存在なくしてドラゴンボールという物語は始まらなかった。

 で、どうやってブルマやその他サイヤ人以外の普通の地球人も参加しているパーティから、宇宙最強の存在を機嫌良く帰らせるかに、物語の大半をつぎこむ。このやりとりが、まー楽しいね。鳥山明が本来好きなのはこういう「ギャグ」の部分で。懐かしいピラフ軍団など「ドラゴンボール」初期のキャラまで引っ張り出してのコメディ部分が楽しい。ベジータビルスの一挙手一投足に右往左往する姿や、鳥山明が得意とする「貞操観念」落差ギャグなど、笑うというより「・・・おおー」と思わず唸ってしまった。正しすぎる。
 で、後半にようやく魔人ブウとの「しょーもない小競り合い」で戦端が切られ、戦闘系キャラは次々に戦力を喪失させられ、「スーパーサイヤ人ゴッド」の存在についての話になるんだけど。その誕生に至る過程に、1人の女性キャラが関わってくる、というのは新鮮な流れだった。あー、なるほどね、と思った。


 今回の新作、なにがいいって、「戦闘力」だけが問題とされていない、といないところでね。ビルスの存在ってもはや人1人でどうにか出来る域を超えてきてる。だからこそ、女性キャラを含め、新旧の様々なキャラクターに見せ場が作れるというのは、面白い発想だった。
 もちろん、悟空やベジータにもそれぞれ見せ場があって、それぞれに活躍するんだけど、そんな彼らもブルマには勝てぬ、という形で映画が終わる。俺はそこで、なぜか泣いていた。やっぱり、ドラゴンボールという世界には「ブルマ」は欠かせない、というところへ物語を帰結させる作り手の、ドラゴンボールの原作に対する深い「愛」を感じざるを得なかった。


 僕は原作の連載こそ読んだけど、アニメにはそこまで食いつかない、という程度の「熱心ではないファン」のつもりだったけれど、ここまで「正しい」ものを見せられると・・・人って泣くんだな、ってちょっと思った。素晴らしい「鳥山明」アニメだった。(★★★)