虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「この空の花 長岡花火物語」

toshi202012-10-01

監督:大林宣彦


 下高井戸シネマにて落ち穂拾い。


 見ました。・・・うー、苦しい。満腹すぎて腹が痛い。誰か胃薬おくれ。


 えー、とね。どういう物語かというのをどう説明したらいいか。
 物語のはじまりは、18年くらいに恋人同士だった男女がいて、ふたりは同棲していたんだけど、ある日突然「理由もわからぬままに」別れちゃって、そのあと二人とも故郷へ帰ってそれぞれの人生を歩んでいたんだけど、
 ある日、長崎ちかくの街で新聞記者になった彼女・遠藤玲子松雪泰子)の方に高校教師になった元カレ・片山健一(高嶋政宏)から手紙が来て、彼がいる長岡の花火とそこで行われる演劇を見に来ないか、という誘いを受ける。そんなわけで、彼女は十数年前に別れた「理由」と、今と日本で起こった二つの戦争をつなぐ糸を「新潟県長岡市」を舞台にたぐり寄せていく。


 という話なんだけど、そんな生やさしい映画ではなかった。
 「転校生 さよならあなた」以来久しぶりに大林作品を見たんだけど速射砲のように饒舌にモノローグを語り出す登場人物たち(しかもカメラ目線で)という大林演出が相変わらずすごい・・・というか違和感のかたまり。今回の映画は映画の舞台となる「新潟県長岡市」を中心として、「原爆」「花火」「原発」「太平洋戦争」「日中戦争」「戊辰戦争」「戦争」など膨大な数のキーワードを設定しながら、それらをどう有機的に結びつけて「今の若者」に向けて「未来」を語るか、ということに注力されている。
 とにかく大林宣彦監督が長岡について実際に見て聞いて、調べたこと知ったこと感じたこと、それにこの映画に出てくる多くの登場人物たちが抱えたそれぞれの「物語」を上映時間2時間40分(!!)の中で語ろうとしているのだけど、それでも足りないのかとにかく登場人物たちが知っていること感じていることを余すところなく速射砲のようにしゃべっては消えていく。
 困ったことに、そう、「困ったことに」この登場人物たちの話が大変面白いのである。長岡市がかつて「原爆の模擬爆弾」を落とされて犠牲者がいたこと、花火と原爆や焼夷弾はそれぞれ構造が似ていること、花火師の名人が語る戦争体験、長岡は山本五十六の出身地だということ、長岡の一般市民が体験した空襲という地獄の生存者たちの証言、長岡では福島県南相馬市からの避難者を受け入れていることなど、興味深い話がいくつもいくつも出てくる。
 そして話の面白さに加えて、大林演出のビジュアルが鮮烈。特に物語のキーになる、「常に一輪車に乗っている」自称「まっさらな女子高生」こと元木花ちゃん(猪股南*1)の登場だけでも相当のインパクトで「えええー!?」と思うし、彼女が演劇で再現しようとする「長岡の大空襲」のシーンもあまりにも独特すぎる台詞まわしとその前衛的な演出に圧倒される。


 「戊辰戦争から日清日露戦争を経て日中戦争から太平洋戦争、さらに今現代の僕らが抱える原発の問題に至るまで、戦争はどこまでも、僕らの時代に影を落としているのだ」と大林監督は膨大な言葉とあふれ出る「想像力」で見せつける。そしてそこにある視座は、常に「歴史に虐げられた犠牲者」たちへの暖かい目線に貫かれている。そして長岡の花火は、彼らを悼む「祈り」の花火なのだとも語る。
 しかし、その優しさとは裏腹に「言いたいことはすべて言う」「やりたいことはすべてやる」という強烈な意思の下、「リアリズム」などという言葉をを軽々と越えていく、そのあふれ出んばかりの「映画力」は凶暴にスクリーンを暴れ回り、そのアンビバレントな映像世界にくらくらしそうになる。しかも、さっきも書いたけど、それが「2時間40分」!
 大林監督・・・・一言言っていい?長げぇーわ!!


 そろそろ終わるかな、という「大団円」の章に入ってからがまた長いってどういうことだ(笑)。老人の話は長い、とはよく言うけど、それにしても70歳を越えて老境にさしかかってなおエネルギーが有り余ってるその大林監督の、若者に対する「遺言」はとにかくエネルギッシュで面白くてそして、長い。「今言わなければ」「今表現しなければ」。そんな思いが炸裂する、低予算で撮られた3時間近い大作。その「遺言」を受け止められるか否かは、この映画を見るあなたの度量にかかっている!この「ウザ長面白い」映画体験は凡百の映画からは決して得ることは出来ないだろう。その是非はともかく、映画ファンならば一度体験してみるべき「大林ワンダーランド」がここにある。(★★★★)

*1:一輪車の世界大会優勝の経験を持ってるらしい。無駄にすごい。