虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「グランド・マスター」

toshi202013-05-31

原題:一代宗師
監督 ウォン・カーウァイ
脚本 ウォン・カーウァイ/ヅォウ・ジンジー


 この映画はどういう映画か。というと。これはもう、ウォン・カーウァイの映画である。


 映画を見終えてどう思うかと言われるとそれしかない。物語全体を通して見れば、葉問(イップ・マン)(トニー・レオン)の一代記というものであるが、この映画の眼目は、彼の人生を通して、クンフーという技を極めし者たちが見る「幻視」のような「光景」を役者の肉体を通して現出する、という目的に向かって一点突破する映画である。

 個々の拳闘シーンはどれも非常に美しい。だが、カンフー映画であるか?と言われると迷う。


 スローモーションの中で躍動する役者たちの肉体。そこにあるのは、確かな鍛錬によって生み出された流麗なる動き。この映画において、ウォン監督は俳優たちにそれぞれの登場人物たちの流派をきちんと会得させてから撮影に臨んだという。だが、この映画で描かれているものは、「拳を極めれば極めるほど、見える世界」と「極めたがゆえに、欲すれど得られぬもの」という主題だ。
 この映画が見せるのは、達人レベルにまでたどり着いた者しか見ることの出来ない、風景を「体感」することである。


 どこまで道を究めても、どれほどの高みにのぼったとしても、得られぬものがある。戦争に人生を翻弄され、幸せから遠ざかる葉問。師匠を理解することが出来ずに手に掛けてしまう馬三。そして、父を喪ったことで修羅の道へと入る宮若梅。
 チャン・ツィイーが体現する、宮若梅の圧倒的孤高。眺められど触れられぬ、その強さゆえの美しさ。
 そんな彼女が葉問と対峙する。拳を交えながら、躍動する2人の肉体。


 やがて落下しながら、ふいに2人の顔が至近ですれ違う一瞬。


 このときがおそらく、彼女の人生で最も幸せな一瞬だったのではないか。「女」を捨てて、拳の道へと踏み入って誰も触れられぬ高みにのぼった宮若梅は、数年後、葉問と香港で再会する。だが、その時彼女は余命いくばくもないことを悟っている。彼女はそっと叶わぬ思いを吐露して、葉問の元を去る。
 この映画が見せた風景は、我々凡人が決してのぞくことは叶わぬ、映画でしか描くことができないものである。それは、「達人」たちが見た、うたかたの夢である。葉問はそんな人生たちを背負いながら、道を歩き続けていくことになるのである。(★★★☆)

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