「これは映画ではない」

toshi202012-09-24

原題:In film nist
監督:ジャファル・パナヒ/モジタバ・ミルタマスブ


 この「映画」には、どんな作品にも必ずかかるオープニングロゴが出てこない。
 いきなり、ひとりの男が朝食を取っている姿が映し出される。家族は実家に帰って、今はひとりらしい。食事をしながらiphoneで電話している。男はなにかひらめいたらしく、電話先の相手に家へ来るように言う。実家からの妻からの伝言。昼間から男はひとり、何をするでもなくペットのイグアナに餌をあげたりしている。カメラで弁護士との電話。彼は禁固6年、映画製作禁止20年の刑が言い渡されているらしい。減刑できるように交渉しているが、芳しくはないようだ。弁護士は「国際的な声」だけではどうにもならない、「国内の声」が重要な「圧力」になるとしているが、男は「仲間を巻き添えにはしたくない」とそれを固辞する。
 そう、男は映画監督。しかも「白い風船」で映画監督デビューして以後、「チャドルと生きる」でベネツィア国際映画祭金熊賞、「オフサイド・ガールズ」でベルリン国際映画祭銀熊賞を獲得するなど、国際的に評価の高いイランの映画監督ジャファール・パナヒその人である。
 しかし、彼は2010年3月に拘束され刑務所に収監、5月に約1800万円の保釈金を払って釈放された。そして、彼は今なお自宅に軟禁状態であり、映画を撮ることも許されていない。


 映画。映画とはなんだ。脚本もある。どういう画で撮るかも監督の中には確固たる画がある。監督の中に映画の構想はいくつもある。しかし、どれも許可が下りなくて断念し、最終的に一人の少女を主人公にした室内劇を撮影しようとしていた。その矢先に拘束されたのである。
 監督は脚本を読みつつ、新作をどう演出するかを、カメラの前で説明する。テープで仕切りを作って「部屋」を再現し、そこで動き回りながら、脚本を読み始める監督。熱心に説明していたパナヒ監督がふいに我に返り、そしてつぶやく。「脚本を読むだけなら、映画を撮る意味などない。」。パナヒ監督は過去の自作を引用しながら、カメラの前に役者がいて、役者が時に監督の意図を、演出を越える。それこそが映画だ、と言う。



そもそも前作「オフサイド・ガールズ」自体が奇跡的な事象が横溢する反骨の映画であった。

 彼女たちは試合の行方に一喜一憂し、自国が点を取って感動するさまは、まさにどこの国のサポーターにも共通する、イキイキとしたものだ。彼女たちは試合を見ていた試合の様子を楽しげに再現するシーンなど、とても演技には見えない…などと思っていたら、これがなんと全編アドリブだったと知って驚愕する。試合を生で観戦できない不満を爆発させたかのように。彼女たちはいきいきとスクリーンで躍動する。
 この映画は幾重の困難をかいくぐって生み出された映像なのである。しかも全編、是フィクション。

 なんという監督の覚悟!そして、なんという監督の強運!俺は思い返すほどに驚愕する。

 そして、この映画には試合展開まで味方する。1点を争う好ゲームとなるのである。
見せたいものも見せないこんな世の中で - 虚馬ダイアリー


 パナヒ監督は「娯楽」映画の作り手である。であるから退屈な映画は撮りたくない。そして、彼のスタイルは素人の役者の中に、監督の意図を越えた演技を引き出すことに定評がある。彼の語り口は実にユーモラスだが、その端々に「映画を撮りたい」という思いと焦りがほとばしる。監督の住む部屋には大型テレビに、MacBookiPhoneがある。食事にも飲み物にも事欠かない。


 ただ、映画を撮る「自由」がないのである。


 軟禁状態の中で映画を撮る行為も禁止。パナヒ監督は手足をもぎ取られたも同然だった。さらに、カメラを回していた友人の映画監督はイラン歴の年末行事「火祭り」のために、子供に会いに帰らねばならなくなった。iPhineのカメラで友人を映しながら、監督はこのままでは一人部屋に取り残されてしまう。その時。一人の男性が部屋を訪れる。
 「オフサイド・ガールズ」で逆境を奇跡的な幸運とともにエンターテイメントに変えた監督の反骨心が、この映画監督として絶望的な状況を逆手に取った、驚くべき展開を見せることになる。どこからが、フィクションでどこまでが真実か。その境目を揺れ動きながら、一歩一歩、「自由」を求めてカメラを回し続ける。
 そして、たどり着く「映画を撮ることが許されない」映画監督が見る光景。火祭りの火が、こんなに近いのに、監督にはあまりに遠い。その切なさたるや!そして、その一連の映像を編集したビデオとして「USBメモリー」の中に入れて国外へと持ち出す。
 そのビデオにつけられたタイトル。「In film nist(これは映画ではない)」


 イランと言う国の現状、自宅マンションを舞台にして自身を置かれた状況すら「見世物」にしてまで、自らが追い求める「娯楽映画」にこだわりつづける、パナヒ監督の、イラン政府や、映画の作り手たちに叩きつける、痛烈な一撃である。
 そしてこれを見た観客は叫ばねばならない。「これぞ映画である」と。表現に携わるすべて人に見て頂きたい傑作。大好き。(★★★★★)