虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「鍵泥棒のメソッド」

toshi202012-09-16

監督・脚本:内田けんじ



 ある日、男は目を覚ます。見知らぬ天井。俺は。誰だ。


 その日、売れない役者の桜井(堺雅人)は死ぬつもりだった。しかし、首をつったロープが切れ失敗。汗臭いし、銭湯の割引券もあるし、とりあえず風呂にでも入って、それからこれからのことを考えよう。35歳。身よりなし。妻も子もなし、女なし。そして何より金がない。借金だらけで、絵に描いたような貧乏アパート住まい。しかも、その家賃すら滞納してる。その部屋を出てポスト開ければ納税のお知らせときたもんだ。八方ふさがり。その上、銭湯に来ても石けんがない。仕方ないからとなりにいるオヤジの石けんをパクろうとして阻止され、石けんは転げ落ちてどこかへ滑っていった。
 そんなときにひとりの男(香川照之)が銭湯の風呂場へとやってきた。年の頃は40代半ば。裏稼業の便利屋と言われるその男。業界では「コンドウ」として知られている。今日もひとりの「会社社長」を「完璧」に「始末」してその帰り道、なにかの映画かドラマか知らないが、その撮影による渋滞に巻き込まれ、ふと横を見ると銭湯の煙突が見えた。時間つぶしと仕事の「汚れ」を落とす一石二鳥と、銭湯に足を踏み入れたところが、どこからか滑ってきた石けんに足を取られ転倒。頭を売って救急車で搬送される。
 こうして、ふたりの人生は、文字通り交錯する。桜井は倒れた男の鍵を自分のものと交換して、相手の服と装飾、さらに財布を失敬。一方、「コンドウ」は転倒のショックで記憶を失い、自分を「売れない役者」だと思い込む。


 こうして、ふたりの人生は「入れ替わって」しまう。「売れない役者」桜井は「裏世界の始末屋」に、「始末屋」コンドウは「売れない役者」として「生活」を始めるのだが。記憶を失ったコンドウは、病院から出たところで、ひとりの女性と出会う。彼女は34歳、独身。しかし、病に倒れた父のために3ヶ月後には結婚する!と固く決心しながら、その相手を見つけられずにいる、出版社に勤める香苗(広末涼子)であった。


 オリジナル脚本のコメディ映画で勝負し続ける、日本では貴重な監督、内田けんじの新作である。
 内田監督の前作「アフタースクール」が堺雅人ありきの映画*1ならば、本作「鍵泥棒のメソッド」は香川照之ありきの映画である。


 なぜならば、これは四十路男の、「人生やり直し」についての映画だからである。
 記憶をなくし(つまりこれまで積み上げたものをリセットされ)、「35歳」の「八方ふさがり」の役者人生を、イチから生き始める男の話だ。
 裏稼業の仕事を「完璧」に徹する生真面目さでこなしてきた40代男が、記憶をなくして貧乏役者として「前向きに」「真面目に」向き合いながら、「偽の人生」すら生き抜いていく。
 そして、香川照之は40代も半ばにして今年の6月から、俳優「香川照之」と並行して歌舞伎役者「九代目 市川中車」としての人生をスタートさせている。この映画は、そんな彼の人生へのアテ書きのように思える。


 一方、「コンドウ」になった「桜井」も、「裏の便利屋」としての仕事をせざるを得ない状況に追い込まれた。「コンドウ」の依頼人に会うことになった「桜井」は、入れ替わるきっかけになった銭湯での「事故」が起こったあの日、「コンドウ」が始末した「社長」の家から金が出なかったので、今度は「愛人」を「始末」してくれ、と強引に依頼されたのだ。さりとて、殺すのはしのびないし、なにより殺すのはいやだ。そこで、彼は一計を案じるのだが・・・。


 という入れ替わりコメディとして、内田監督お得意のツイストが楽しめるのだが、もうひとつ。
 この映画は、なんと「内田けんじ監督初のラブコメディ」だったりする。


 そんな、「コンドウ」だった「桜井」と出会い、少しずつ親しくなっていく香苗は「良家のお嬢さんで真面目。30代で編集長を務めるほど仕事も優秀で顔かたちが広末涼子級だけど、恋愛経験ほぼゼロで結婚願望だけはある。」という現代の希少動物のような、男の妄想がダダ漏れしなきゃ存在しえないような女性であるが、そんな彼女がはじめて「恋愛してもいいかも」と思うのが、「コンドウ」=「桜井」なのである。
 コンドウと香苗。およそ、釣り合わない境遇のふたりが、「貧乏でも前向きに真面目に人生を生きる」背中に香苗が、そして香苗の生真面目で純粋に生きる香苗にコンドウが、それぞれ相手に惹かれていくのだが、やがて、コンドウはかつての記憶を取り戻す。
 その時、ふたりの「恋」の行方は・・・という筋なのだが。


 内田監督、演出は基本「もっさり」だけど、それ以上にどうにも「ラブコメ」を描くには照れがあるらしく、全体的に固い。広末涼子のお父さん(小野武彦)が行った「ある演出」など、ぐっとくる場面もあるにはあるのだが、恋愛について描く場面は全体的に理屈が先行して、色気がない。ま、四十路香川照之と、三十路広末涼子の純粋な恋愛、というだけで過剰に嘘くさくはあるのだが、それにしても、照れすぎだろ!と思ったのはラストである。
 いやー、そりゃーオチャラケが過ぎるってもんだ。なんだこの「ナーンチャッテ」演出は!


 ま、詳しくは映画本編を見てもらうとして、とりあえず、内田作品らしい伏線と二転三転しながらも、前半に幾重にも蒔かれた伏線を、物語が進むにつれてきれいに回収する手際は健在。「コンドウ」という男の「真実」も「なるほど」と思うし、だからこそ四十路男のやり直しファンタジーとしても優秀なのだけれど、もう少し「恋愛」の部分を照れずに演出しきってくれたら、評価が上がったのになあー、とそこは残念に思ったりする。幾重にも積まれたロジックの先のエモーションこそが、映画の感動だと思うがゆえに、なおさらもったいないと思う。(★★★☆) 

殺し屋ですのよ (星新一YAセレクション)

殺し屋ですのよ (星新一YAセレクション)

*1:「アフタースクール」感想 http://d.hatena.ne.jp/toshi20/20080525#p1