虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ミッション:8ミニッツ」

toshi202011-10-31

原題:Source Code
監督:ダンカン・ジョーンズ
脚本:ベン・リプリー




 超おすすめ。評価は★★★★★。見てない方はこんなエントリに付き合う必要ないので、このまままっすぐまわれ右して、一切の前情報を封じて映画館へGO!












 気がつくと目の前に一人の女性がいる。
 ふと横を見れば高速で景色が流れていく。ここはシカゴ行きの列車。そして、「自分」は目の前の女性を「知っている」。話す内容もすでに記憶にある。数秒後にやってくる車掌に切符を見せるタイミングも。周りにいる乗客が誰なのか。そして、この列車に数分後に起こる恐るべき結果をも「身をもって」知っている。なぜなら、俺は繰り返してきたから。いつ果てるともわからぬ「8分間」を。
 俺の名前はコルター・スティーブンス大尉。アフガンに駐留している空軍パイロットである。しかし、「今」この「8分間」の中にいる俺の名前はショーン・フェントレス。歴史の教員だ。「彼」は「現在」この世にいない。なぜなら、「今」から8分後に起こる列車爆破事故の犠牲者だからだ。この8分間の間に俺はこの列車を爆破した「犯人」を見つけ出さねばならない。
 それが、「現在」自分に課せられた任務なのである。


 「月に囚われた男」でデビューした、ダンカン・ジョーンズ監督の2作目である。


 さて。
 この映画における、「繰り返される八分間」へのルールについて考えたい。


・プログラムによる自動生成により、一人の<死者>の、死までの8分間の「記憶」を元に世界がタイムシフト再生され、その世界を自由に行動できる。
・パソコンなどの電子機器ではその「8分間の世界」に介入することはおろか視認さえ出来ず、適合率の高い人間を触媒<デバイス>にして<死者>の肉体に乗り移ることにより、その世界を視認、および介入ことが出来る。
・プログラムにより、そこに生み出された世界は、「死までの8分間」の物理、自然現象はおろか、すべての人間の記憶や性格、人生までもがバックアップされており、彼らはそれをもとに生成された「世界」の中で自律的に行動する。そしてそこに、「デバイス」となった人間の人格をもって介入し、プログラム世界の「結果」を違うものにすることが出来る。


ただし、その「結果」は決して現実世界の「現在」そのものには影響しない。


 これだけの縛りの中で主人公は、一人の男性に「乗り移る」カタチで世界に何度も半強制的に介入していく羽目になる。
 「8分間」だけ再生可能な「マトリックス」世界である。ただし参加できる「プレイヤー」は一人だけで、周りの人間は「人格」を持ったいわゆる「AI」キャラであり、失敗すれば強制的にやりなおし。
 考えてみると、これを「実現」するにはどのようなスーパーコンピューターを使えば可能なのか、という話になりそうなのだが、この映画の眼目はそこにはない。


 この映画における「最後の8分間」は、「死者」たちの「世界」を何度でも再生して、彼らの「生」をイキイキと描き出す試みだ。


 「9.11」以降のテロが続く世界。そして、「対テロ戦争」という名の泥沼のカオスを経てもなお、世界は「テロ」の恐怖におびえている。この映画の背景には、9.11以降の、屈折した愛国、テロにおびえ続ける米国社会、そして「対テロ戦争」の不毛が描かれる。
 主人公が出会う「乗客」たちのほとんどは「現実」においては既に「死者」である。しかし「八分間世界」の中では彼らはイキイキと彼らの「生」を生きている。そして主人公は彼らとともに何度も「死」を経験し、または目撃する。その中で主人公は、「死者」たちに対して徐々に「同士」のような気持ちを抱くことになる。言ってみれば「プログラム」なんてものは方便にすぎず、この映画が真に描きたいのは「テロ」における「死者」たちにあったはずの「生」の肯定なのである。
 なんどもなんども、「現実には影響を与えない」ことを知りながら、主人公は「爆破テロ」の「犯人捜し」を強いられる。しかし、その中で主人公が徐々に感じていくのは、軍人としての正義感でもなく、犯人への憎悪でもなく、「今」ある「世界」、つまりいつ果てるとも知れない「8分間」に何度もふれあった「人々」と、その世界への「限りない愛着」なのである。
 ハンニン捜しの任務を終えて、それでも彼が望むのは「現実」での「生」ではなく、「8分間」世界においての「生」であり、たとえ「残り数分」の生しかないと分かっていたとしても、彼はそこに帰ろうとする。


 これは何度も時間のループを体験する古典的SFの意匠を借りながら、「9.11」以降の世界の「生」と「死」について描いた映画である。かつてポール・グリーングラス監督が、911にテロリストに乗っ取られ、乗客全員が死亡したユナイテッド93便について描いた「ユナイテッド93」で、乗客たちの「唐突に終わりへと向かう日常」の中での「生」をリアルに、そしていきいきと描いてみせたように。この映画は「死」と隣り合わせにある我々観客の「生」をも肯定する。
 9.11が生み出した死者と、そこから十年間の間にさらに生み出された戦争などによる「死」。そんな人々にかつてあった「生」の肯定と、「彼ら」の「人生」の再生を、エンディングに起こる祈りにも似た「奇跡」に乗せて描いた映画なのである。(★★★★★)



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