虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「ハリー・ポッターと死の秘宝」前編/後編

toshi202011-07-15

監督:デビッド・イェーツ
原作:J・K・ローリング
脚本:スティーブ・クローブ


 このシリーズの第1作「賢者の石」が公開されたのが2001年である。あれから10年。10年かあ。


 最初の2作品を作ったのがクリス・コロンバス監督だったのは良かったのか悪かったのかはわからない。おもちゃ箱をひっくり返したような世界で、「特別な存在」としてちやほやされるハリー少年とそのご学友のイベントムービーだったあの頃の「ハリポタ」。資質によって組み分けされた、グリフィンドール寮とスリザリン寮という、善と悪のきっちりした描写は、今にして思えば子ども向けとしての目くらましでもあったのだろうと思う。まさかここまで善と悪が混沌とする物語に至ろうとは、思いもしなかった。
 第3作「アズカバンの囚人」でアルフォンソ・キュアロン、第4作でマイク・ニューウェルへと引き継がれた監督のバトンは、第5作でテレビ演出界で名を馳せた新鋭・デビッド・イェーツに渡り、以後彼が「ハリー・ポッター」シリーズを牽引していくわけだけれど。
 このシリーズは「指輪物語」ほど「物語」としての完成度はないにしても、まさにさまざまな色を見せながら、物語を楽しめるシリーズとして開花したように思う。


 さて。
 昨年の11月に公開された「死の秘宝」の前編は148分という長尺をつかって、ひたすら後半への布石を打っていくだけの、「お使いRPGかよ!」と思わせるほどの移動→イベント→移動→イベント→・・・の繰り返しで、原作準拠の伏線を張っていくだけの展開にかなり興ざめしたものの、最終章後編となる「死の秘宝 PART2」では一転、上映時間も130分に刈り込み、その上でクライマックスに向けてドラマは一気にシリーズ全体の核心へと踏み込み、見せ場に継ぐ見せ場が続く。

 「特別な存在」として第1作でしてちやほやされた少年が、持ち前の愛嬌とハリーのご学友というだけが取り柄だった少年が、可愛いけどやや鼻持ちならなかった優等生の少女が、8年という時間を経て彼らが彼ら自身の理由から悲壮な戦いに身を投じていく。
 そして、ハリーはなぜ「特別な存在」と言われたか。その理由がついに明かされる。

 「死の秘宝」の物語の縦糸は、表題の「死の秘宝」と、ヴォルデモートの「命の鍵」とも言うべき、「分霊箱」というギミックで、それがハリー自身の「運命」にも大きく関係している。「分霊箱」は自らの「命」を分散させることで、肉体の死だけでは死なないようになる、「死」のリスク分散アイテムである。ヴォルデモートはいけにえに複数人を魔法で殺害することで、いくつもの分霊箱を作ってあるのである。


 そもそも、ヴォルデモートことトム・リドルがなぜ「口にしてはいけないあの人」などと呼ばれるようになったかと言えば、彼が70年代に、魔法界の「暗黒時代」を生み出した「絶対悪」だからである。
 言わば魔法族ではない「普通の人種(マグル)」を迫害することになったのは、彼の生い立ちに関係があり、彼の血統は「スリザリン」寮の創設者に連なる由緒あるものだった。彼は生まれた直後に母親を亡くして天涯孤独となったが、父親は彼が生まれる前に母親を棄てている。当初、リドルは自分を産んですぐに死んだ母親を「弱き者」として憎んでいたが、実は父親は「普通の人種」で母親こそが「スリザリンの後継者」たる人であったことを知ったヴォルデモートは、以後「普通の人種」を激しく憎み、マグル排斥運動を活発化させる。


 そして。ハリーの母、リリーもまた「普通の人種(マグル)」から生まれた魔女であった。そして彼女が死ぬ原因のひとつが、セブルス・スネイプのヴォルデモートへの注進だった。結果ヴォルデモートはハリーを守ろうとした両親を殺害したが、同時にハリーを殺そうとした際、リリーの「防御呪文」によってを死の呪文が跳ね返り、結果呪いを身体に受ける。その際にハリーに「何か」が起こっている。
 ハリーを殺し損ね、アルバニアへ逃亡し、身を潜めたながら、復活の機会をうかがっていたが、数年後、彼は「ハリー・ポッター」の血によって復活することになる。リリーによる「ハリーを守る呪文」を宿したハリーの血によって。


 ヴォルデモートの「分霊箱」は複数あり、5つの非生物、と1つの生物、あともう一つ、思わぬかたちで誕生した「分霊箱」が1つ、存在している。そのうち2つは「秘密の部屋」においてハリーが、「謎のプリンス」でダンブルドアが破壊している。残りは5つ。ハリー達は分霊箱探しの旅に出る。
 この「死の秘宝」は、まさにハリーとヴォルデモートをつなぐ、「死の秘宝」と「分霊箱」を巡る物語なのである。


 そして後編。いよいよ物語の舞台はホグワーツ魔法魔術学園へと戻ってくる。
 ハリーとヴォルデモート。その因縁を中心に、様々な人々の思いが、クライマックス、ホグワーツを舞台にした、ホグワーツ魔術学園及び不死鳥の騎士団と、ヴォルデモート軍団との、魔術の総力戦が開始される。



  やがて、自分に課せられた運命の過酷さを知るハリー、分霊箱に心乱されハリーとの友情を壊されかけてながらも心の弱さと戦い続けるロン、マグル排斥の流れの中で「両親との記憶」を断ち切ってまで、ハリーに協力するハーマイオニー
 そして、かつて激しい悔恨と、一人の女性への純情を抱えながら彼らを見守ってきた、とある一人の男の記憶が、ハリー・ポッターに託される。


 かつて第1作にあったような「善と悪」の、キレイに色分けされ、夢あふれる魔法の数々を見せてくれた楽しいホグワーツ魔法魔術学園はもはやなく、そこには、一人一人の「守りたいもの」への思いの丈を込めた人々の、戦いだけがある。
 デビッド・イェーツ監督がシリーズ3作目も後半になって会得した、ドラマとSFXの融合が見事に決まった演出と、大勢のキャラクターをさばきながら、それぞれにきちんと見せ場を持たせつつ、すべての謎を収束へと導く物語が融合し、映画は、まさにシリーズ最高潮の盛り上がりを見せる。
 そして、ハリーとヴォルデモートは1対1で対峙することになる。そこで何が起こるのか・・・は是非劇場で。


 本作はシリーズで、もっともキャラクターの死が多いシリーズとなったが、ややそれぞれの「死」の描写が淡泊すぎるのが玉に瑕。しかし、それをさっぴいても、ドラマとビジュアルが横溢するこの映画は、シリーズ全作を予習して望んで劇場で見ても決してバチは当たらない出来映えとなっていると思います。瑕瑾はあれど、それらを超えてこの長大なシリーズをほぼリアルタイムで作り続けながら、最終作でここまで盛り上げながら見事物語を収束して見せた原作者、スタッフ、キャストの「熱量」に敬意を表しての★★★★★!(★★★★★)