虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「憑神」

toshi202007-06-23

監督 : 降旗康男 原作:浅田次郎


 「いくら言葉を重ねても、形にはかないません」と刀鍛冶は言った。俺はそれを見てそうだなあ、と思う。



 俺が物語至上主義、なんてえことを言い出したそもそものきっかけは何か、というのをうすぼんやり考える、とそれは「手塚治虫」にたどりつく。俺が高校・浪人生の時分から大学生の頃に、マンガ文庫ブームがあって、「ブラックジャック」などのヒットなども手伝って、過去の手塚治虫作品がぶわーっと一気に出て、俺はそれを片っ端から読んでいた<勉強はどうした。


 それまで俺の中の手塚治虫という人の評価は、藤子先生に比べるといまひとつ、なんで評価されているのかわからなかったのだが、高校生の時分に夏目房之介氏の著作などをたまたま図書館で読んで以来、手塚治虫という人のおぼろげな「宇宙」の像が見えてきて、実際の作品に触れることで、その想像力の幅と広がりと、表現することへの狂気とも思えるような執着を目の当たりにして一気に、俺の中で「漫画の神様」ではなく究極の「漫画狂い」という評価へと形を変えた。
 俺の中で手塚治虫への畏敬の念が決定的になったのは「火の鳥」や「ブラックジャック」などの傑作群ではなく、遺作「ネオファウスト」である。その最後の遺稿。未完成の、仕上げられていない、コンテである。死の間際まで執筆を続けたその、苦痛とぼんやりとした病床でなお、物語が浮かんでくる、表現へのあまりの熱量。書きたくて書きたくて書きたくてたまらない。死の床にありながら、その思いで筆を走らせた残滓。俺はこれを見て、「天才」とはこういうものなのだ、と思い至った。


 表現者は、理屈じゃないんだ、と。書きたい、表現したい、そのために生きたい、と。それを人生の最後まで貫くのが真の「天才」なのだ。そう思う。いくら年をとろうが体が衰えようが、それでも表現したいと願い続けること。作り手を「終わり」を決めるのは受け手じゃない。作り手の「表現」への熱が本当に冷めた時が作り手の終わりなのだと、俺は思うのだ。



 その「ネオファウスト」は三部作のラストを飾る大作となるはずだった。シリーズ第1作の「ファウスト」は戯曲「ファウスト」の漫画化で、手塚治虫の漫画家人生の初期の作品。第2作「百物語」は手塚治虫の中期の作品で、「ライオンブックス」の一編。そのファウストの戦国時代バージョン。しかも悪魔は「若い女」と来ている。
 冴えない武士・一塁半里が、魂との交換を条件に3つ願いを叶えさせてもらえる条件を提示され、「人生をやり直すこと」「絶世の美女を得る事」「一国一城の主になること」の3つを願う。顔はイケメンに、名前を不破臼人と名を変え、だけど中身はへっぽこのまま。戦国の「ファウスト」は悪魔と契約によって願いを叶えるために放浪するなかで、生きることの喜びを見つけていく、という話で、俺は三部作の中でこの作品が一番大好きなんだけれども・・・・。


 で、この映画である。実はこの映画はすごく「百物語」に似ているなあ、と思ったのだ<長い枕だねどうも。



 時は幕末。所は江戸。能力はありながら運に見放されて落ちぶれて、今は兄の家の居候となっている別所彦四郎が、ささやかな出世を願ってうっかり手を合わせてしまった社は、貧乏神・疫病神・死神に次々と取り憑かれる、という男の話なのだが。
 ・・・まあ、正直言ってこういう設定ならもう少しうまい話の転がし方があるんじゃないのか、とも思うのだが、死神に取り憑かれてから、話はいよいよ核心へと入っていく。生きるとは死の表裏。死ぬ気になってでもやりたいことが見つかってこそ人生。そこでいよいよ、幕末という時代の風が、江戸に押し寄せてくる。主人公は、自分が輝きながら死ねる場所を探し始める。


 幕末の下級武士が有名人と知り合いになる中で自分の居場所を見つけようともがく話、というと、嫌でも「陽だまりの樹」の伊武谷万二郎を思い出すんだけれども、ちょうどそれと、「百物語」のあいのこのような形で物語は進んでいく。クライマックスまで似ている。
 百物語は一生懸命に生きようとする不破臼人に、悪魔の方が惚れちまう、という展開があるんですけれども、その悪魔・・・いや惚れる死神を、森迫永衣ちゃんにやらせている、というのが、実はこの映画の一番の魅力って感じがする。


 そして、なんと主人公は●●●に参加するんである。うわーうわー!まんますぎる。もう既視感バリバリですよ。しかもクライマックスで、大砲の弾が主人公に飛んできて爆発する。「旦那ァーっ」と付いてきた小者*1が叫ぶ、ってところなんか、「陽だまりの樹」をパクって・・・じゃないリスペクトしてんじゃないか、と思うくらい似てるんだけれども、いいのか!?って思う。ここまでかぶってるとこの映画は「手塚治虫」への隠れリスペクト映画・・・なんじゃないかな!?などと思ったりもしたのである。


 ・・・・いや、どうせ俺の気のせいなんだろうけれども。ただ、死に際することでなお、人は何かを残そうとする。その人間の尊さを描こうとする意志は、時代を越えるのではないか、とこの映画を見た後で、いろいろ考えたりしたのである。そんなことを考えさせてもらっただけでも、この映画には感謝しているのである。(★★★)

*1:映画では死神の方