虚馬ダイアリー

「窓の外」のブログ

「しんぼる」

toshi202009-09-16

監督:松本人志
脚本:松本人志/高須光聖


 うん。おもろかった。


 松ちゃんが映画で何したいのか、だんだんわかってきた感じ。



 ・・・とか書くと、私窓の外が大変な「松本人志教信者」、という言葉でくくられそうで怖いけれど。そういうことでもないな。一言で言えば、「好き」ですよ。ただ、なんつーのかな。松ちゃんの「笑いとの向き合い方」というのが、映画というシステムからすると、かなり相性が悪いのはわかる。
 松ちゃんは、映画を作るなら「稼がねばあかん」というのがあるのだけれど、作りたいモノは真逆というか、間口が狭い。そこに何とか折り合いをつけて、吉本興業から予算を引き出す時の妥協点が「主演:松本人志」なのだと思うけれど。俺はね。「監督:松本人志」は大変に信用している。この映画にひとつ難点があるとすれば「主演:松本人志」の方ではないか、と思う。



 この映画は最初、メキシコの田舎町の外れの家から始まる。そこには家族がいて、日常を営んでいるが、ひとつ普通でないところをあげるなら、お父さんがルチャリブレの格好をしていることである。今日はそのお父さんの試合がある日なのだ。
 その頃?おかっぱ頭に変な模様のパジャマを着せられたおっさんは白い部屋で目を覚ます。四方は白い壁に囲まれ、上を見上げると光が強くて見えない。出口はない。すると壁から小さなチンコが出てくる。おっさんがつまびくと、子供の笑い声とともにそこから無数の天使が現れ、おっさんに姿を見せた後、壁にチンコを残したまま壁の奥へと消えていく。



 前作「大日本人」というのが、「電気を浴びるだけででかくなる」だけの「ただのおっさん」についての映画だった。今回はってえと。白い部屋に寝かされた、おかっぱ中年のおっさんが、天使のチンコだらけの部屋に閉じ込められて出られない、という映画。


 昔、メガCDというゲーム機で「SWITCH」というゲームがあった。WAHAHA本舗の代表だった喰始氏がプロデュースしたゲームで、スイッチを押すと「しょーもない」何かが起こる。で、間違ったボタンを押すと世界的なモニュメントが壊れて、一定数壊れるとゲームオーバー・・・という。まあ、それだけのゲームだったのだけれど、今回見ていて思い出したのは、その「SWITCH」と、「ゼルダ」みたいにいくつかのアイテムをうまく組み合わせて使うと脱出できまっせ、というゲーム的な要素を組み合わせたような構成が、序盤にある。
 でまあ、そこで「おっさん」は格闘しながら脱出する方法を探っていくのだけれど。


 「大日本人」もそうなんだけど、この映画の主演は、究極的に言うなら、「素人のおっさん」であるべきなんだよな。誰やねんお前、っていう。
 そのおっさんが本当に閉じ込められていて、松ちゃんは監督として外から見て「その反応」をみてゲラゲラ笑っている、くらいの役回りが松ちゃんの理想だったと思うのだ。だって、いくら「おっさん」を演じても、「松本人志」という記号は容易には脱げないわけじゃないですか。


 この映画が「」についての映画だっていうのは、ある程度予測が付くのは、その部屋にはトイレがなくて、松ちゃんは便意を決してもよおさないからで、彼が実は「人ならざるモノ」であることはある程度示されているのだが、なぜか行動原理が「おっさん」で、なおかつ姿形が「松本人志」である、という。ここが大変にムズカシイところだ。


 ひとつこの映画についてカンチガイしてはいけない、というか、松ちゃんが「カンチガイしてほしくない」と思ってるに違いないのは、「俺こそが『』」という映画だと思われることではないか、と思う。「んなわけないやん」という話である。
 松ちゃんの、ニヒリズムからすれば、そこにあるのはナルシシズムなどではなくて、ある種の諦観、というか、彼自身の「宗教観」の「ようなもの」ではないかと思う。一言でいうなら、「所詮、『』なんてこんなもん」ということである。


 松ちゃんが「ドリフ」や「たけし」と決定的にチガウのは、計算に拠る笑いよりも、計算を越えた笑いを追及しているところだと思う。「たけし」はなんだかんだと仕込みを入れることで笑いに導いていくが、ダウンタウンがやっている「ガキ使い」の「フリートーク」から、「HEY!HEY!HEY!」のような音楽番組でのアーティストとのトークの中にまで「笑い」を入れていく作業は、「笑いの神」が「スイッチ」を押す一瞬を逃さないチカラを獲得するための、まさに「修行」のようなものであり、その一瞬を松ちゃんやハマちゃんはかなりの高確率で逃さないからこそ、テレビ界に彼らの代わりはそうそう現れないのである。


 ところが、こと映画という手法はこの、「笑いの神が降りる一瞬を待つ」という松ちゃんの手法は、映画という手法ではあまり有効とはいいがたい。映画としての笑いならば、メキシコパートの「ためてためて、解き放つ」形で繰り出した、ああいう計算された笑いの方が有効で、松ちゃんが「こうしたら面白いんじゃないんだろうか」というアドリブの末に完成した、「白い部屋」パートは、どうしても「映画的」な笑いからするといまひとつ笑いのリアリズムが消えてしまう。


 しかし。これが素人のおっさんを本格的に白い部屋に閉じ込めたものを編集したものだったら。かなりおもろいのではないか。松ちゃんは必死に「普通のおっさん」を演じようとするけれど、やはりそこには「松本人志」にしか見えないおっさんがいるわけで、それはもう、やっぱ「普通」とは言い難い。
 なんか。誰かも知れないおっさんがいる。で。誰やねんこのおっさん、という人が天使に翻弄されながらも、そこから脱出し、彼自身の役割を知る。で最後に、松ちゃんの声で「誰やねん、こいつ」って言いながら爆笑している音声で、「END」ならかなり真意が伝わりそうなのだが。


 映画と松本人志の融合、未だ道半ばの感である。(★★★)

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